Allegiance-1-

 入り口を少し進むと、いくつかの岐路に差し掛かる。どうやら想定していたよりも、此処は随分と広い空間のようだ。組織を取り仕切っている人間を探すべく、やや忍びつつ先を進んで行く。最初の人間に出逢うまでは居場所を晒すことは得策ではないだろうと、先ほどウィンガルが進言したためだ。
「随分と整備されている。長く此処に留まっていると見えるが」
 辺りをそこそこに眺め回して、ガイアスがぽつりと呟く。
「だろうな。採光の仕方が即席のものではない。おそらく、長いことこの地を拠点にして来たのだろう」
 先刻より態度を繕うことを諦めたウィンガルが無粋にそうガイアスに放てば、ガイアスは取り立てて気に留めることも無く、「やはりそうか」と一言返した。
 おそらく相当の期間、この拠点は此処に存在していたのだろう。それに気付かなかったのは、彼らが活動しているのが必ずしもカン・バルクであったとは限らない、という点にある。元よりこの場所は冷原の再奥に位置し、平時ではまず立ち入ることなど有り得ない地だ。首都内であれば監視の目がいくらか利くが、他の地方に足を伸ばされたところで、それを感知する術は無いに等しい。
「……さすがに証拠を残してはいない、か」
 壁際に手を触れると、風化した岩肌がぱらぱらと少し崩れた。簡素に置かれている戸棚や机の引き出しをそれとなく開いてはみるが、やはりと言うべきか、それらしい物証は見つからない。
「当然だ。何時誰が踏み入るか分からない場所にあえて情報を残しておく馬鹿は居ない」
 投げやりにそう言ってから、ウィンガルは深く息を吐く。ましてやロンダウ族の人間ならば、一歩上を行った巧妙さで情報の隠匿に努めていることだろう。もしくは全てを口頭のみでやり取りし、書物はそれごと脳裏に焼き付けた上、一切を焼却している可能性も十分にある。
「口を割らせるなら、捕らえて尋問に掛けるが」
「その必要は無い。地下書庫の重要書類に穴は無かったとの報告を受けている。幸いにも原本ごと持ち去られたものは無いようだからな」
 そもそも十、ないしは二十の人間を拷問して情報を引き出すことはとてもではないが不可能だ。極端に手間が掛かる上、これといって得るものも少ない。それならばいっそ一思いに殺してしまった方が、人道的に見ても余程親切というものだろう。ガイアスは思って、歩みを止めずに前へと進む。それから二つ目の大部屋を越えたところで、忙しなく動く人影が見えた。
「あれは……」
「まずは一人目か。……ガイアス、これ以降姿を隠すことは不可能だと考えた方が良いだろう」
「分かっている」
 この位置からでは構造上、口も利けぬうちに命を奪うことはまず叶わないだろう。姿を現してから斬り伏せてしまうまで、せいぜい数秒の間が空くことは覚悟しなければならない。おそらくその程度の時間さえあれば、たとえ斬られる寸前にでも、仲間を呼ぶのに事足りる。
「では、まずは俺が出よう。お前は俺の後に続き、迎撃の体勢を整えろ」
 いいな。そうとだけウィンガルに命じて、ガイアスは返答も聞かずに大地を駆ける。目にも留まらぬ速さで剣を引き抜いて、影の見える大広間へと飛び込んだ。――手早く攻撃範囲に入り込む。
「何者だ!」
「悪いがその命、預からせて貰おう」
「総員! 侵入者が――」
「――皆まで言わせはせん」
 そう言い放って、一閃。ガイアスは抉るように男の肢体を斬りつけ、瞬く間にその生を奪う。それきり鼓動を止めた男に「……呆気無いものだな」とたった一言。感情の含まれない低音は洞窟の広きによく響き、冷たく虚空へ解けてから、消えた。



 部屋向こうに返り血が赤く満ちるのを確認してから、ウィンガルもガイアスの後に続き、剣を構えて急襲に備える。ガイアスが骸を蹴り飛ばして向き直る頃、想定通り叫びを聞きつけてやって来た面々は、やはり各所にロンダウの紋を携えていた。
「何事だ!」
 そう言って前に飛び出した男はガイアスを見やって、その剣幕に瞬間怯む。一気に片を付ける気は無いのだろう。標的である集団を目の前にしても、ガイアスはすぐに誰かの生を奪うことはしなかった。
「貴様らの愚行、露見したからには放ってはおけぬ。……相応の裁きを受けるがいい」
「ア・ジュール王……?」
 そこでようやく事の次第を気取ったのだろう。呆気に取られて男は言って、みるみるうちに青褪めて行く様子が見て取れる。
 されど認識が現実に追いつかないのだろう。恐れというよりは驚きに支配されて、男はガイアスから視線を逸らせもしないまま、ただその場に立ち尽くしていた。割合若々しい出で立ちのその男は、見せ掛け善良そうな青年だった。
「お前は……!」
 そこに、少々遅れて初老の男が一人現れる。すらりと痩せた長身に黒髪のその姿は、ガイアスに一人の人間を想起させた。――傍らに佇むウィンガル。その男はかつて族長の地位にあり、今なおそれを自負する、この男の姿を連想させる。
「……叔父上」
 ウィンガルに侮蔑にも似た視線をくれて、「叔父上」と呼ばれたその男はウィンガルへと静かに向き合う。この場所に集った人間達も彼を見るなり酷く歪んだ表情を浮かべて、敵意を隠しはしなかった。
 ――かつてロンダウ族が存在していた頃、族長の補佐役を務めていた人間。ウィンガルにとって、彼は血の繋がった叔父にあたる。
 幼いながらも頭脳明晰であったウィンガルは、彼ら叔父に大層将来を有望視されていた。きっとこの子がロンダウを良き方向に導き、さらなる栄光を手にしてくれるだろう、と。まるで口癖のようにそう語ったあの頃の叔父達に、やがて訪れる部族の瓦解など欠片も見えてはいなかったのだ。
「部族の人間を見捨てた裏切り者が、挙げ句王の狗となって残党狩りか? 見下げ果てたものだな」
「叔父上……何故裏切りなど」
「裏切りだと? ……裏切ったのはお前の方だろう。一族の発展に全てを捧げると語った、あの言葉は幻想か?」
 棘を含めて男は言って、嘲りを交えて僅かに笑う。お前に期待した私が愚かだった。そう投げ付けてから、男は携えた剣を構える。
「下級部族出身の成り上がりにロンダウを明け渡すなどと……ロンダウの誇りを穢すお前達、それそのものが最早大罪に値する」
「……叔父上。貴方は部族に固執し、考慮すべき大意が見えていない。それを正さねば、この国は何時までも同じ過ちを繰り返すだろう」
「だから一族郎党を滅ぼされようとも、自身はその男の軍門に下ったと? 笑わせる。お前が有能でさえあれば、とうにその男など殺し、ロンダウが実権を握ることも可能であっただろうに」
 ロンダウ族が民の大半を失ったのはお前のせいでもあるのだ、と。暗にそう言い含めて男が言えば、ウィンガルは眉を顰めて男を睨む。
 ――いったい、あの戦いの何処にロンダウが生きる術があったと言うのか。ロンダウの知識の粋を極めた、おそらく誰より頭の切れる自身の智略すら破られ、手を取らなければ全てが殺されるやもしれぬ状況の中で、数少ない人間を救いきるにはそれしか無かった。
 自身の力不足を否定はしないが、あれ以上に出来ることがあったとは思えない。結果的に自ら忠誠を誓い、理由無く傍に居ることを望んだのは、その後の日々の副産物だ。今日この日まで王宮にて共にある同胞も、同じように個人としてガイアスに惚れ込んだあまり、力を尽くす者ばかりだろう。
「……俺は、これが間違った選択だったとは思っていない」
「これは、随分と革命ごっこにご執心のようだ。……愚かなことだな」
「そういう貴方は部族ごっこと言ったところか? ……愚かなのは貴方の方だろう。いずれロンダウの再興を目指すにせよ、新たな秩序を打ち立てる為には揺らがぬ基盤が必要だ。この立場に在る以上、本来やるべきことなどいくらでも有る」
 実質的に解体されているとは言っても、ロンダウ族とて全てが死に絶えたわけではない。長い目で見れば、半ば強制的に崩壊に至らしめられたこの部族でさえも、いずれ改めてその名を称することは可能だろう。
 かつてロンダウ族が排斥される要因となったのは、上層部の腐敗した体制ゆえだ。頭が切れるがゆえにありとあらゆる闇取引に手を出し、実質それに他の部族が異を唱える機会すら与えられることがないまま、ア・ジュールの治安を乱した張本人。叔父はそれを
「……先代は一族の崇高さに見合うだけの理想を持っていた。誇り高きそれを無に帰したお前の正しさを、この俺が認めるわけには行くまい」
「ならば逆に問おう。叔父上、貴方達の誇りとは何だ? 下賎に身を堕としてまで何を求める?」
 鋭い眼差しでそう言って、ウィンガルは苛立つ内心を何とか留める。王となったあの男に恨みを持つ、それ自体は同じことだ。されどガイアスの理想がこの国にとって最善であることもまた、疑いようの無い事実なのだ。それを濁り無く達するであろうガイアスの意を汲むことが、間違いであるなどと言えるはずもない。
「ロンダウがこんなことにならなければ、俺達とてこんな真似はしていない」
 お前を殺し、王を殺してでも――もしくは国を瓦解させてでも、必ずやこの地にもう一度一族を集め、ロンダウの誇りを取り戻す。そう言って剣を振るう男に、ウィンガルもまたその刃を受け止める。増霊極を用いるには、この場所は少々難が有りそうだ。判断して平時のままで相対すれば、先ほどのガイアスとの一戦の影響か、若干ながら剣筋が鈍る。
 たとえ同胞であろうとも、一切を分かり合えずとも、国家にとって害悪であるならそれを討たねば許されない。小さな世界の権力に盲執し、覇道を進むガイアスの妨げとなるのなら、それを排除することに他意は持たない。――思いつつ、剣を振り下ろせない。迷っているうち、傍らのガイアスが四、五程度の屍を積み上げる。それからウィンガルに対する男を一瞥して、切っ先を向けこう言った。
「貴様らはこやつに誇りを説くが、俺には貴様らの行いにもそれに値するだけの崇高さを見出せぬ」
「何を世迷言を。己の都合で他者の命を奪う未熟な王に誇りを説かれる筋合いは無い」
「貴様らが部族の復興を目指そうと、我らに歯向かわぬのなら興味は無い。……だが、俺の国の民を脅かすのなら容赦はせぬ。その罪を悔いて眠るが良い」
 そのまま男を斬り伏せようとして、ふいにガイアスは制止を受ける。――俺がやる。だから手を出すな、と。暗にそう示されたウィンガルの視線を見て取って、ガイアスは内心呆れを覚えて吐息した。
「王の為とあらば同胞すら斬り捨てるか。……とんだ狂信ぶりだな」
「狂信? それは違うな。俺はこの男を信じてなどいない」
 隙あらば喉笛を掻き切り、かつて消えて行った命の為に仇を取って、その地位ごと奪ってしまいたいとさえ思っている。それが叶わぬから、叶わぬがゆえ、圧倒的な強さに付き従って理想を達する為の手助けをする。
 魅せられてはいるが、決して信望してはいない。曖昧な線上で、常に疑い、疑われながら生きている。途方も無い復讐のために。それでいて、この上ない献身のために。もはやどれが自身の本質なのかすら定かではないほどに、それはウィンガルにとっての日常だった。
「……無駄話は勝利の絵図の美しさに欠ける。そろそろ終わらせてもらおう」
「な……」
 鮮やかな手つきで剣を滑らせ、ウィンガルは無感情なまま、かつて身内であった者の返り血に晒される。――ああ、袂を分かつとはこういうことだ。昨日まで共に研鑽を積んでいた人間が、今日になればこの上ない敵となる。手の内を知られ、知り尽くした人間に、それでも終焉を与えなければならない無慈悲な現実。――生まれ落ちた瞬間から、そういう世界に生きている。血に塗れた生き方から、今更抜け出せはしない。別段、抜け出そうとも思いはしない。
「……戻りましょう、陛下」
 全ての人間を屠ったことを確認して、ウィンガルはくるりと踵を返す。物言わぬかつての同胞を葬ることも無く、毅然とした様はかえって危うげにも見えた。
「良いのか?」
「……ロンダウの名を持ちながらその名を穢す輩に施す慈悲など持ち合わせてはいない」
「かつての身内すら切り捨てるか。……見上げたものだ」
「今、ロンダウの全権を握っているのは族長であるこの俺だ。……俺はロンダウが滅んだなどとは思っていない。……元よりあなたに付き従うと決めた時から、覚悟などとうに出来ている」
「……なれば、そうしよう。俺とて咎人を葬る義理は持ち合わせていないのでな」
 ガイアスが言えば、ウィンガルはその背を見やって、覚悟を交えて視線を流す。
「その野望を達する為ならば、俺はどんな罪悪にも身を堕とそう」
 告げられたその言葉にガイアスは言い得ぬ表情を浮かべてから、振り返らずに一度立ち止まる。
「……その覚悟、しかと受け止めよう」
 諦めたようにそう言ってから初めて、ガイアスはその場でウィンガルをちらりと振り向く。「ウィンガル、行くぞ」。その一声にウィンガルは「はい」と一言呟いて、二人はカン・バルクの喧騒へと歩を進めた。

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