Allegiance-1-

 密偵の根城に近づくにつれ、辺りは重々しい雰囲気に移ろってゆく。明確に表現することは難しいが、あえて表現するのなら、それは張り詰めた憎悪だった。かつて戦地でもあった場所だからなのか、今も巣食う人間の恨みが絶えないせいなのか、気を抜けば中てられそうになるほどに、この場所は言い知れない緊張感に満ちていた。
「正面突破するか、足音を忍び潜入を試みるか。いずれ見つかることは避けられませんが、選ぶべきは二つに一つです」
 いかが致しますか、と。そう尋ねたウィンガルに、「ふむ」とだけ言ってガイアスは問い返す。
「……お前はどう見る?」
「そうですね……短時間に雌雄を決するのなら、早々に駆け抜けた方が都合は良いでしょう。勿論、内部調査を行うのであればこの限りではありませんが」
  言ったウィンガルに ガイアスは思案するような顔をして現在を思う。
 ――今回のこの件は、手早く終わらせてしまうのでは意味が無い。この遠征にウィンガルを同行させた理由は、何よりウィンガルにとって、またア・ジュールという国家にとって、それが必要だと思ったからだ。実情として言ってしまうなら、此度の任務は個人で負ったところでさして苦労する類のものではないだろう。誰にさえ黙して単身遠征して来たところで、おそらく軽々と片付けてしまえる程度の温く容易い案件だ。
 元より、本来ならこの根城の存在が民の告発により明らかになった時点で、行動は迅速に行うべきではあった。告発が露見して情報元の人間を殺させてしまってはどうにもならないし、敵がア・ジュール側の粛清を恐れて逃げ出さないとも限らない。こちらの情報がどれほど漏れ出ているかも分からない状況の中、それだけは避けねばならない事態だった。
 ――それでも、ウィンガルを共に引き連れることを諦めることは許されなかった。たった独りこの場所に降り立ち、決着を付けるのがガイアス自身であってはならなかった。当人にとっても、ガイアス自身にとっても、この件を決するのはウィンガルである必要がある。なぜなら、それがただ――。
 そう思ったところで、物陰から矢が放たれるのが見える。かわすこともせずに淡々と立ち尽くしていれば、キイン、とそれが払われる音。
「陛下!」
 増霊極に頼ることも無く、ガイアスに向いた矢を当然のように弾いてから、ウィンガルは剣を収め、咎めるような視線をガイアスにやった。――ああ、また。反射的に救った主が微動だにせず平然としている様に眉根を寄せて、ウィンガルは仰々しく溜め息を落とす。
 この王を見ていると、時折手酷い激情に駆られそうになる。眉一つ動かさず、冷静なまま客観から物事を見つめ、常に絶対の存在で在ろうとするその姿が、何もかもを掌握しようとする傲慢に思えてならない時がある。思ってから放たれた矢を拾い上げ、「……どういうおつもりですか」と一言、ウィンガルは恨みがましく投げ掛けた。
 言いようの無い苛立ちを覚えるのは、何も矢に気付かぬ無用心さに対してではない。自身が狙われていることを分かっていながら、それほどまでに自分を信じてみせる――否、忠義を確かめんとする、その至って気まぐれな行動に対してだ。
「何の話だ?」
「御戯れを。……見切れていたでしょう、陛下」
 苛立ちを隠さず睨みをひとつ利かせれば、ガイアスは堪えたふうもなく、「そう思うのか?」とにやりと笑う。
「あなたに倒れられては施政に関わる。……軽率な真似は慎んで頂きたい」
 あんな陳腐なやり口に、まさかこの歴戦の獣が気付かぬはずはない。あれしきの未熟さならば、攻撃を仕掛けられる前に斬って捨てることなど容易いだろう。
 ――ああ、ならばまたしても、自分は試されているのだと。そう思わされるにつけ、やりようのない憤りがウィンガルの胸を突く。
「別段気付かぬとも構わぬだろう。……お前を信用しているがゆえ、な」
 お前が傍らで俺を守るのなら、些細な事柄などさして気に留めたものではない。不敵な笑みを浮かべて、圧倒的な立ち位置からガイアスはウィンガルを一瞥する。それに露骨に表情を歪めて、ウィンガルは笑みを交えて向き直った。
「……そう言っていると、いつ寝首を掻かれるか分からんぞ」
 今もその命を狩らんとしている事実を、まさか忘れたわけではないだろう。平静を装ってウィンガルが呟けば、ガイアスは口の端を僅かに歪めて、余裕の表情でこう続けた。
「決して忘れてなどいない。……だが、ならば尚更だ。そのようなことが起こり得るものならば、もうとうに起こっているだろう?」
 日がな一日傍を離れず、共に歩んだ瞬間がいったいどれほど存在したことか。その気になれば隙を突き命を奪う機会など、おそらくいくらでも窺えたはずだ。それでもそれをして来なかったのは、今尚揺るがぬウィンガルの、何よりの忠誠の証と受け取れる。
「……俺が道を違えたのならそれも構わぬ。……代わりに貴様が血迷えば、俺はいつでもその身を厭うこと無く滅しよう」
 そこに示されるものが明確な敵意であるならば、斬り伏せることに躊躇いなど存在するはずも無い。屈折の果てに不穏分子に成り果てるのなら、それを罰することこそ王たるものの務めであり――それはまた、この片翼を傍に置く、ガイアス個人としての責任でもあるのだろう。
「随分と余裕だな。俺とて反旗を翻せば、お前が相手と言えども簡単に殺されはしない」
「一度の過ちを糧に、再び俺を追い詰め殺せるとでも語る気か? ……未だ従属に甘んじるお前に屈しはしない。それでもこの地位を貶めるだけの覚悟が有るのなら、俺は何時でも受けて立とう」
 微笑さえ湛えてガイアスは言って、ウィンガルに余裕の一瞥をくれる。
 ――主従の誓いを立てたずっと以前から、不文律のようにその理は存在する。他方が見過ごせない罪を犯したその時、もう他方がそれを断罪し、その地位の一切を制する。それゆえ相手に弱みを見せることは何よりの恥となり、また脆さとなる。信を置きながら、ひたすらに警戒し、疑いを抱き、牽制をし続け――決して寄り掛からずに己の足で立ち続ける。その代償として、王の片翼たる彼だけは、ある種対等であることを許されるのだ。
「さて……そろそろ姿を見せればどうだ? どんなやり方であろうと卑劣なやり口とは言わぬが、無様に逃げ惑う様ほど戦士に似合わぬものは無いな」
 ふとせせら笑いに威圧を交えて、ガイアスは陰間に色濃く落ちる影を見やった。物陰に場を離れようと息を殺して様子を窺う、殺気立った人間の気配が一つ。今にも走り出さんとするそれに、ガイアスの鋭い一声が響く。
 突然のことに動けなくなったのだろう。それきり走り出そうとするそぶりは消えて、気配は諦めたようにぴたりと止まる。それを見過ごすことも無く、おそらく青ざめているのであろうその影に、ガイアスの無情な凶刃が襲い掛かった。
「……仕舞いだ」
 無慈悲にも刃を滑り込ませる瞬間、ガイアスの視界にふと見慣れた印がちらつく。それに僅かだけ眉を顰めてから、ガイアスは振り切るように切っ先に力を込めた。――ああ、此処でか。予想外に早い展開に、滴る血を振り払いつつ、ガイアスは傍らの片翼の反応を案じた。
「これは……」
驚きに目を見開いて、ウィンガルは朽ちていったその人物をまじまじと見やる。そこに倒れている者にこそ見覚えは無いが、彼が首から提げているペンダントに刻まれた、その紋には大いに見覚えがあった。――ロンダウの紋章。智を何よりも尊び、計略による強さを良しとした、ひどく見慣れた誇りの証。此処にこれがあるということは、すなわち――。
「……ロンダウの紋?」
 戸惑い気味に言ってから、ウィンガルは眼前に広がる現実を受け入れかねて思考する。何故同胞がこんなところに、それも敵となって己の前に立ち塞がっているというのか。
 出来るなら、現在の状況の一切を否定してしまいたかった。それらしき理由を付けて、回答を投げ出したかった。
 ――ああ、それでも動かぬ証拠が転がっている以上、否定のしようが無い。この人間は紛れも無く我が同胞――かつてのロンダウ族の生き残りなのだ。ア・ジュールの各部族は自身の出自に誇りを持ち、何らかの証明を携帯したがる者が多い。今なお根強い排他主義も相まって、個人が他部族の産品を身に付けることはまず無いと言ってしまって良いだろう。それゆえこの人物は、ほぼ疑い無くロンダウ族の人間であると言える。
「何故……」
 呟いて、ウィンガルは歯噛みする。ガイアスに屈し、王の軍門に下ったあの時、確かに全ての人間がウィンガルに続いたわけではない。自分はこれ以上戦いたくないからと、戦線を退いた者も多く居る。
 ウィンガル自身、部族の人間をことごとく殺され、隣に立たんとする豪傑を恨みに思う部分も勿論あった。いつかこの手で自身の正しさを証明し、「やはりお前に国を変えられなどしなかった」と、そう言ってやりたい気持ちが無いとは言わない。下らぬ理想に散って行った同胞の恨みを晴らし、滅びてもなお族長として、ロンダウの誇りを維持していたい願いを嘘とは言わない。
 ――それでも、魅せられてしまった。圧倒的な強さで全てを制し、現実的な理想を語り、実際にそれを成し遂げて行くその姿に、自身の誇りを捧げることを厭えなかった。そんなウィンガルと同じく、あの場でガイアスに異議異論を申し立てた人間は居なかったはずだ。こうして、こんな場所で敵対するような人間が居ようとは、まさか思ってもみなかった。
 やや後ろに立つガイアスは、今ひとつ表情の読めないふうでウィンガルの様子を見やる。この男のロンダウに対する執着は人一倍強い。部族を預かる身として、実質解体に至った今も、その名に誇りを抱いて生きている。それゆえに今、その心を支配するものは怒りか、それとも戸惑いか。どちらにせよ、目前の従者が目の前の状況に動揺していることは明らかだった。
「ウィンガル?」
 そうしてガイアスが暗に行動を決するよう促せば、ウィンガルは一息吐いてのち、屈み込んでいた身体を起こす。屍に背を向け、呼び掛けにくるりと振り返ってから、それきり葛藤など存在しなかったかのように姿勢を正した。
「……失礼。行きましょう。急がねば、標的を取り逃がすことにもなりかねません」
 結局、あらゆる疑念を抱き込んで、ウィンガルは先を行くことを選択する。たまたま同胞の一人が寝返り、悪質な輩と行動を共にしているだけだろう。
 この程度、どんな組織であっても一人や二人は存在している例外だ。 全ての部族の全ての人間が善良であるだなどと、今更子供じみた幻想を抱いてはいない。元より争いに満ちて血に塗れたこの世界には、争いの火種などいくらでも存在しているのだから。



「……流石に警戒が濃いな」
 至るところに仕掛けられた罠は、気付き次第ウィンガルが警告をすることで逃れたが、中には見破ることが難しいほど巧妙に設けられたものも存在した。これほどに緻密なものは相当に頭の切れる者でなければ造り上げることすら不可能だろうと、そう思えるものもいくらかあった。
「敵方の本拠と言うからには致し方ないでしょう。情報というものにはそれだけの価値が付随していますから」
 卒なく返答して、ウィンガルは足元の罠をまた一つ手早く解除する。この様子では、相当の機密を先方に握られている可能性は高い。その状態で尚も此処を引き払おうとしないということは、おそらくまだ調べが不完全な事柄があるのだろう。今のうちに組織ごと叩いてしまわねば、国の安定を大いに揺るがす事態にもなりかねない。
 外部に出せない情報というものはこの国にも多く有るが、身近なところで言えば四象刃の出自だ。ウィンガル自身はとりわけ問題も無く、ジャオがキタル族の出であることも国民には周知の事実だが、残る二人については露見してしまうと少々と言わず具合が悪い。
 身分に囚われずに力のある者を取り立てる方針は既に浸透し、国民にも一定の理解を得ているが、実際にそれがどんなものなのかが露見してしまえば話は別だ。片や敵国の六家の人間であり、片や悪名高い組織の女スパイ。アグリアは一族全てを皆殺しにしているし、プレザとてたぶらかした用済みの人間をいたぶり殺す程度の残虐は日常だ。四象刃はア・ジュールの解放的な一面の象徴でもあるが、反面、国民が反感を抱くきっかけになりかねない不安要素であることも事実だった。
「最悪を想定した場合、連中が国の瓦解を狙っている可能性も否めません。……おそらく相応の情報を持ち出されているものと思われます」
「カン・バルクの警戒も今以上に強めねばならん。反逆者の掃討が済み次第、今一度首都内の人間を洗い出せ」
「……御意」
 ウィンガルが返答すれば、取り立てた反応も無くガイアスは前を見据える。――ふいに、張り詰めた空気に殺気が二つ。
「まだ歯向かうか。どれほど束になって掛かって来たところで所詮は雑兵。我らには到底敵わぬ。ましてその程度の少人数で向かって来ようなどと……」
 諦めを交えて呟いて、示し合わせたかのようにガイアスはウィンガルと一人ずつを両断する。呻く間も与えられずに散り行く鮮血が、雪の白色によく映えた。
「な……?」
 直後、ウィンガルが戸惑いの声を上げる。
「どうした?」
 言ったガイアスに返答もせず、ウィンガルは尽き果てたそれを悔恨の面持ちで見やる。自身の斬り伏せたそれを見やれば、羽織には先ほどの首飾りと同一の、ひどく見慣れた紋が施されているのが分かった。
「……そろそろ内部に突入する。準備はいいか、ウィンガル?」
 そうして揺れるウィンガルに気付かぬふりをして、ガイアスは無表情のまま意思を問う。
 対するウィンガルは、返り血に塗れることも意に介さずに、死した躯体の前に立ち尽くしていた。――ああ、これで三人、同胞を既に死に追いやった。此処まで来てしまうのならば、これはもはやただの偶然ではあるまい。十や二十程度の組織に、いったいどれだけ同胞が紛れる「偶然」が存在し得ようか。
 そこでふと、ウィンガルは先刻のガイアスの言葉を思い出す。「今朝方もたらされた情報だ」と言ったそれは、いったいどれほどの情報量を伴っていたのだろう。――まさか、最初からこの任務の全貌を知っていたと言うのか。一度考え始めれば考えるほど、疑念は確信に変わって行く。不安定さにままならなくなって、掴み掛かりたい衝動を何とか諌めて振り向けば、ガイアスはやや笑ってこう言った。
「どうした。よもや怖気づいたわけではあるまい?」
 主の余裕を湛えたままで、ガイアスはウィンガルに半ば真実を放り投げる。誰よりも気高く在るロンダウの族長に、その言葉は何よりの侮辱であった。
「……反旗を翻したのはロンダウ族。そういうことか」
「ああ、そうだ。あの時咎めずに捨て置いたのは失策だったな」
 やはり不穏分子は始末しておくべきだったか、と。そう当然のように語るガイアスを、煮えたぎりそうな苛立ちを留めるように、ウィンガルは低く抑えた声音で鋭く見やる。
「……何故黙っていた?」
「取り立てて話す必要は無いと判断した。……それだけだ」
 どれほど言葉を尽くして話したところで、反乱者を粛清する結論が変わるわけでもない。諜報活動による裏切りは重罪だ。国家の重要機密が露見してしまった時点で、それに関わる全ての人間は死罪にあたる。――その程度、敵もまた覚悟の上でこのような方法を取っているのだろう。何よりそのようなやり方を好む部族であることは、傍らの片翼を見ていれば嫌でも分かる。
「伝えたところで罪状は変わらん。お前が従うべきはア・ジュールであり、ロンダウではない。この国にとっての枷となるのなら、誰であっても振るうべき刃は変わらぬ」
「貴様……!」
「俺は王だ。なれば俺はその務めを果たし、常に民にとって最善の方法を選択するまでのこと。相対した者が所詮害悪でしかない人間だとこの目に映るのなら、たとえそれが何者であろうと、この国にとって直ちに排除すべき存在には違いない」
 ――そこから一瞬。とうとう堪えきれずに剣を抜いて、ウィンガルはガイアスの喉元目掛けて斬りかかる。荒々しく振り下ろされる合間に姿は見慣れた白髪に変わり、留めきれない怒りが力となって、受け止めるガイアスも剣に力を込める。
「……俺に刃を向けるとは、どういうつもりだ?」
 このまま斬られることを望むのか。それとも決別の為に刃を交えるか。真っ直ぐにウィンガルの揺れる瞳を見やって、ガイアスは剣ごとウィンガルを押し返す。
『お前は、そうやってすぐに……!』
 重要なことを何一つ伝えず、対等であれと突きつけるくせに、歯向かえば圧倒的な力で戦意ごと屈服させに掛かる。いつもそうだ。恨みを都合の良いように用い、忠誠を強く意識させ、逃れられないようにと全てを潰して縛り付ける。どんなに殺したいと願っても叶わない。どれほど同列に在りたいと祈っても叶わない。何もかもを半ばで遮られ、手篭めにされて身動きも取れない。
 ――さながら籠の中の鳥だ。王の檻に錠を掛けられたまま、恨みゆえに逃げ出すことも、羨望ゆえに踏み込むことも、何一つ自由を許されはしない。囚われたまま従順に在り続けることを強いられ、それなのに自分自身がそれを望む。徹底的な矛盾に今更、抗う術さえ知ることも無い。
「感情に任せて剣を振るえば、太刀筋は自ずと鈍る。なれば今、お前を殺すことなど容易いものだな」
『なら、殺せば良い! ……俺を不要と言うのなら、元より貴様に差し出した命だ』
「そうして決断を投げ出すか。……醜いな、ウィンガル」
『……ッ! アースト……ッ!』
 半狂乱のままで、目にも留まらぬ速さで、ウィンガルはガイアスの後方に回り斬り掛かる。その声が、言葉が、存在全てが、耳障りにウィンガルを狂わせた。理想に殉じてしまいたいと心が願えば願うほど、抱えた憎しみが同じ分だけ膨れ上がる。いつだって二つは比例し、ウィンガルに御しようの無い激情をもたらした。
 父親も、母親さえも、手に掛けたのはまだ年若かったこの男だ。大義の為に些細な犠牲を払うこと。それが回避しようの無い理であることなど、言われるまでも無く理解している。それでも個人として持ち得る感情とは話が別だ。身内を殺され、幾多の同胞を殺され、挙げ句忠誠を求められる屈辱は、金輪際決して消え去ることは無いだろう。
「俺が憎いか? リイン」
『貴様を……! 貴様を憎まずに生きた日など……一日、たりとも存在しはしない。その首を刎ねられたらと、……何度、思い描いたか……!』
「……そうか。なればその恨み、今一度叩かせてもらおう」
 上がりきった息に肩を震わせて、ウィンガルは憎しみの炎に囚われたままで剣を打ち合う。そこからいくらか剣を交えたあとで、ウィンガルは身体ごと勢い良く薙ぎ払われた。――倒れ伏したところに、鋭く切っ先を突き付けられる。
「……話にならんな」
 勢いに押されて増霊極の解けたウィンガルに、呆れたように呟いてガイアスは続ける。
「貴様が同胞に刃を向けられないと言うのならそれも構わん。……この先は俺一人で行くとしよう」
 それきり止めを刺すことも無いまま、ガイアスは静かに剣を収めて、振り返らずに歩き始める。迷いの無いその瞳には、ただひたすらに、未来への筋道しか描かれてはいなかった。
「アースト……!」
 そんなガイアスにウィンガルは叫んで、内心あらん限りに狼狽する。――何故責めない。何故殺さない。あれほどに反逆を咎め、従順であることを求め、いざ抵抗すればこうして捨て置く。力の差を見せ付け、それでも尚生きることを強いて、傍に在ることを良しとする。
 全てを委ねてなるものか。お前一人に同胞を殺させてなるものか。他の全てと同じように、あの瞬間と同じように、またしても全てを理想の犠牲にするならば、いっそこの手で片を付けよう。お前はそれすら許さないと言うのか。それにさえ値しないと言うのか。声にすらならないまま湧き上がる感情を精一杯に押し留めて、ウィンガルは目前の背中を睨んだ。
「待て。……俺も行く」
「……貴様に同胞を斬れるのか?」
「俺はあの日ロンダウを捨て、お前に付き従うと誓いを立てた。……今更それに背くつもりは無い」
 出来得る限りの虚勢を張って、ウィンガルは澄んだ赤色に視線を合わせる。全てを見透かされているかのようなこの瞳に射抜かれることは、いつだって酷く居心地が悪い。
「まあ、いい。……好きにしろ」
 そう言って再び踵を返したガイアスに、物言わぬままでウィンガルは後ろを歩く。やがて踏み入った洞窟の内部は、些か冷え切った心地がした。

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