Allegiance-1-

「……それは私に個人的に同行しろ、とのご命令ですか?」
「そう取って構わん。来るか、ウィンガル?」
 カン・バルク王宮の私室にて、ウィンガルは訝しげな表情をしてそう問い掛けた。「他の者には話せぬが、処理せねばならない件が一つある」と。意味深にそう切り出して、ガイアスはウィンガルに返答を求める。
 ――事の起こりはほんの半刻ほど前のことだった。「後で話しておくことがある。手が空き次第早急に俺のところへ来い」と。そう来訪を課したガイアスはそれきり私室に引き上げてしまったものだから、結局ウィンガルがこうして王の寝床を訪ね、挙げ句話の見えない提案を受けているというわけだ。
「……未だ国内の情勢は不安定だ。為すべきことあらば、無理にとは言わぬ」
「いえ。……詳細をお聞かせ願いたい」
 王直々の依頼とあっては、取り立てて断る道理も見つからない。ウィンガルは一言だけ言ってから、それきりガイアスの返答を待つ。連日追われていた業務も昨晩ようやく区切りを迎えたところだし、各地に遠征させていた四象刃も今はこの地に揃っている。ひとまずは治安が悪化しているというふうも見受けられないし、空けている間はプレザにでも留守を任せれば、往々上手くやってくれるだろう。
「必要とあらば、同行致しましょう」
「そうか。……ならば話すとしよう。近古、このカン・バルクに密偵が出入りをしていたとの情報が入った。数は三から五名程度。不審なやり取りを目撃したと、民を通じて密告があり判明したものだ」
「密偵? 情報は何時のものですか? 場合によってはもう……」
「お前がここを空けていた今朝方入った情報だ。……このあたりでは容易に平原を越えることも出来はしまい。よって、未だ敵が国内に潜伏している可能性は高いと言える」
 寒さの厳しいここカン・バルクでは、日中と言えども大規模な移動は容易ではない。にじり寄る魔物の群れ一つ取ってもそこそこの腕が無ければ切り抜けることは困難を極めるし、だからこそ、尚更カン・バルクの民はこの町に留まりがちな面もある。スパイと言うからにはそれなりの手練れである可能性もゼロではないが、やはりプレザのような戦闘にも長けた諜報員というのは多くはないから、おそらくは近隣に身を潜めていることだろう。
「しかし、陛下自ら出られるのですか? わざわざお手を煩わせずとも……」
「いや、構わぬ。此度のことは少々事情が違うのでな。災厄の芽は早々に摘み取っておくに越したことは無い」
 一蹴するようにそう言って、ガイアスはゆるりと幾らか首を振る。大仰に遠征といっても、場所が場所だけあってそう長旅になることは無いだろう。事務的な事柄は実質ウィンガルに一任していることもあって、ガイアス自身は城を空けることにそれほどの支障を見出せない。
「……了解致しました。現在四象刃は私を含めて首都におり、皆手が空いている状況です。不在時の城の守りは彼らに申し付けることと致しましょう」
 ガイアスの言を聞き入れたウィンガルは、どこか諦めたように淡々と述べてから、暗躍しているという密偵の件に思考をやった。
 おそらく未だ逃亡を図られていない今のうちであれば、国にさほどの不利益をもたらすこと無く一切を始末することが可能だろう。実際、黎明を迎える前のア・ジュールが混沌に満ち、これといったまとまりを見せなかったのは、個々の部族の斥候が互いに偵察し合い、領地を争い、ひたすらに力を競ったからだ。大元となる情報を持ち帰る斥候さえ叩いてしまえば、一族郎党を制するのにも、いつだってそれほどの苦労を覚えることは無かった。
「くれぐれも準備は怠るな。……想定外、という言葉もあることだ」
 言い聞かせるように呟いて、さながら念押しするかのように、ガイアスはウィンガルへと僅かだけ視線を合わせる。「重々承知しておりますが」と前置きした上で、少々訝しげな表情でウィンガルは問うた。
「今度の輩は余程の精鋭なのですか? 陛下がそれほどまでに警戒なさるとは……」
「いや。……だが実際、最も苦戦した。万一に備えるに値するだろう」
 端的な否定の後、届くか届かないかの瀬戸際に声を落として、ガイアスはウィンガルを瞬間見やる。それきり取り立てて言葉を投げることも無く、一度意味深なふうをしてから、ガイアスは扉に手を掛け黙り込んだ。
「陛下?」
 訝しげな様子でウィンガルが視線をやっても、ガイアスは答えることをせずに黙し続けた。意味が分からないと言ったふうに「何か気になることでも?」とウィンガルが尋ねれば、「案ずるようなことではない」と一蹴して、ガイアスは命令めいた言葉を続ける。
「出立は日が傾いた頃合とする。それまでにプレザに場所の見当を付けさせるが、任務の内容については伏せておく。……お前も無闇に口を開かぬよう注意しろ」
「……しかし」
「では、俺は行こう。出立の前に片付けねばならぬ件がまだ残っているのでな」
 多くの人間に露見すればするほど、このような作戦は成功率が落ちて行く。そうとだけ理由を付けてから、以後の問いを振り切るようにして、ガイアスは悠然と私室を出て行った。
 独り残されたウィンガルは今ひとつ釈然としない内心のままで、眉根を寄せて息を吐く。静まり返ったこの部屋には、言いようのない不審感だけが飛び交っていた。



 夕刻、プレザより敵の根城についての情報がもたらされてから、四象刃の見送りを受けて二人は首都カン・バルクを発つ。「何でテメーが選ばれるんだよ」と不服そうなアグリアを横目に、先を行くウィンガルの表情は決して穏やかなものとは言えなかった。
 情報によれば、その場所に出入りしている人間は十から二十名程度。ある程度の組織化がされており、統率にはその中の一、二名程度が払われているのではないかとのことだった。見た感じは地元の人間といったふうで、とりわけ寒冷地に疎い外部の人間が入り込んでいるという様子ではない。おそらくこの地にある程度精通している人間である可能性が高いだろう、と。
 「詳しく調べるだけの時間も無いし、簡単なことしか分からなかったわ」。そう言ったプレザの言葉を受けて、ウィンガルの中に思い描かれた像はいくつかあった。ひとつは現王――ガイアスに不満があり、カン・バルクの民衆の一部が内乱を企てているという線だ。しかし、これは可能性としては限りなく低いものと考えても良いだろう。
 日頃から王宮を拠点とし、民の陳情を極力聞き届けるよう努めるなど、ア・ジュールは隣国に比べて相当に開かれた政府だ。そのことを国を挙げての自慢にもしているし、何よりそれは王宮に仕える人間一人一人の誇りでもある。何か思うところがあるならば、武力をもって争う前に、話し合いの場を望む機会はいくらでも設けられるだろう。
 ――となれば、だ。おそらくは他部族の生き残りが今も反乱を諦めてはいないのだろう。そもそも以前から、ガイアスは自分が過去に手に掛けた人間を他の人間に任せきりにすることがほとんど無い。己の都合で手を下した者たちをそれきり放り出してしまっては、この国はいずれかつての姿に戻るだろう、と。そう言って、可能な限り自ら現地に赴こうとするそのことこそが、ウィンガルにとっては誇りでもあり、また悩みでもあった。
 全てに向き合おうとするそれはすなわち、ガイアスなりの責任感の表れでもあるのだろう。黙って玉座に座っていられるような性質でないことなど分かってはいるが、それでも万が一ということがある。世辞にもこのア・ジュールは民衆同士の団結のみによって成り立っているとは言い難く、この統率に関しては、今も現王の圧倒的な求心力に頼っている状態だ。まだ国家として揺らがぬだけの体制を作り上げているこの段階で、王に倒れられでもすればこの国の崩壊は必至と言える。
「ウィンガル、目的地までの方角を」
 そこまで考えたのち、ウィンガルの思考に淡々としたガイアスの一言が割り込む。すぐさまそちらに注意をやって、ウィンガルは「はい」とだけ返答し、手元の資料に視線を落とした。
「……プレザの報告によれば、敵の拠点はモン高原をやや行った先。奥まった冷原の片隅に洞窟のようなものがあり、そこに人の出入りがあるということです」
「そうか。……ならばそれほど急ぐ必要はあるまい。定住しているのなら、すぐにでも身を隠す気は無いのだろう」
「でしょうね。夜半を待って、奇襲を仕掛けるのが得策かと」
 相手方の能力が未知数な分、少しでもこちらに有利な条件を取るべきだ。そのような言葉をウィンガルが投げ掛ければ、ガイアスも「違いない」と頷かぬままで同意する。
 戦場において、無策の力押しほど愚かなことは無い。どれほどの豪傑であったとしても、やりようによっては人間一人など簡単に滅ぶ。――実際、ウィンガルにはかつてこの王を限界にまで追い詰めた実績があった。部族の人間を率い、計算づくでこの男が決して引き返せぬある一点を読みきり、あの瞬間、勝利は約束されたかに思えた。
 たとえ武力で敵わずとも、そうして智略によって他者を死に追いやることが可能な以上、どれほど容易い任務であったとしても、油断の一切は許されるものではないのだ。あの日とて地理的条件に屈しさえしなければ、今頃は目の前の男の命も無く、部族はさらに隆盛し、国家は散り散りになったままでいずれ終焉を迎えたのだろう。それを考えると、いかにこの男に天運が有り、またこの国が強運に恵まれているのかを思い知らされる。
「今回の場合、一人たりとも逃すことは出来ません。確実性を重視するなら一気に――」
 言い掛けてから、ふいの気配にウィンガルは言葉を切った。同時にガイアスが剣を抜いたのを気取って、その場から動かず立ち尽くす。
――それから瞬く間に、一閃。
「気配を消しきれていない者の気は余計に目立つ。……あらぬ考えを起こさぬことだ」
「……刺客でしょうか」
「気付かれたか?」
「いえ、そうとは限らないでしょう。たまたま本拠へ帰還する折にこちらの姿を見掛けたか……」
 岩陰に身を潜めていた人間が飛び出して来たのを間髪入れずに斬り伏せて、ガイアスは軽く瞳を閉じた。――この世には無謀な人間が多い。格上の相手に挑む心構えを愚かだとは言わないが、命を懸けるに足る理由を持つ者もまた少ない。各々が縋るように惨めな信念を無理矢理抱え、大して信じてもいない理想のために死んで行く。
 弱い者がそうして強い衝動に頼らなければ生きて行けない現状は、そう容易くは変わらない。それを達しようとすれば、これより先も滞り無く、幾多の屍を積み上げることとなるだろう。
 ――弱きが朽ちる世界を正す為に、礎となる人間を軽視するつもりは無い。これから犠牲にすることその全てを、国の糧とし、業として背負い――そうすることでいつか、己がその罪を清算すべき時も来るだろう。それならば、それでいい。せめてその刻限に至るまで、死力を尽くして弱き者が死に向かう世界を変える努力をするだけだ。
「王に楯突くなど……愚かな。この国で陛下の顔を知らぬ者など居ないだろうに」
 言いつつウィンガルは亡骸に近づいて、奇襲を企てた人間の身辺の把握に努める。見たところただの旅人のような装いをしているが、旅をするのに用いられるような物品は何ひとつ見つからない。やはり、この人間もまた例の密偵の仲間ということか。ひとまず納得をして、ウィンガルは立ち上がる。どうやら歩いているうちに、やや日が暮れ掛けて来たようだ。
「……この頃は、また日の入りが早まりましたね」
 夏には白夜を迎えるこの地方は、冬になれば早々に空は漆黒に包まれる。年中を雪に閉ざされた恵まれぬ土地柄の中においても、とりわけ厳しい季節がまた巡ってくるのだろう。
「この時分でしたら、遠からず陽は沈むでしょうが……」
「ならば、到着と同時に突入して問題は無いだろう。着き次第、内部へ奇襲を掛けることとする」
「では、そのように。目的地にはあと半刻ほどで到着すると思われます」

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