小夜の誓言-1-

今日は遅くなると思うから、先に休んでいてくれて構わない。予めそう伝えていたこともあって、夜半に帰り着いた宿の一室は、既に明かりが落ちていた。簡素なログハウスに差し込む月光が疲れきった皆の表情を照らし出して、柔らかく夜の闇色を拒絶する。

どうやら皆、想像以上に深く寝入っているみたいだ。そんなことを思いながら、借り受けていた地図をそっと宿の棚に戻して、とりあえずとばかりにベッドの上に腰掛けた。

これだけの人数が居れば、普段なら少しの物音でも誰か一人くらいは目を覚ます。――人一倍警戒心の強いゼロスやリフィル先生は特にそうだ。この二人と来たら、その日の寝床が野営かそうでないかなんて構いもせずに、いつだって警戒することを辞めずに周囲に気を張り続ける。

二人の異様な警戒心がそれぞれ違う意味を持っているんだろうことも、口にはしないだけで何となく分かってはいる。もちろん、詳しい事情を知っているわけじゃない。それでもリフィル先生はいつも何かを守ろうとしているし、ゼロスはいつだって、必要以上に人と接することを怖がっている。

――それが、だ。今はこの二人でさえ、俺が戻ったことになんて少しも気付くふうもなく、ただ静かに眠っている。

――昼間のことを思い出せば無理もないよな。思って、俺は振り返ることすら億劫な、数時間前の光景を思い返す。あれは、まさに死の寸前と呼ぶに相応しいほどの窮地だった。急襲を受けた挙句にクルシスの罠に掛けられて、危うく全員が殺されかねないところだったのだ。命からがら逃げ出せたは良いものの、それ以上行動を広げられるだけの体力が残っているはずもなく、その後の情報収集を俺が一手に引き受けて、他の皆は休息を取るよう取り決めたのだった。

「つっても、結局何も分かんなかったんだけどさ……」

クルシスのこと、過ぎ去って来た町の現状、加えてこれからの手がかりになりそうなこと。安全圏の範囲内で手当たり次第に調べてはみたけれど、これといって目新しい情報は見つからなかった。どれほどあがいたところでテセアラの大地からではシルヴァラントの様子を窺うことも出来はしないし、今日の成果は正直なところ皆無だと言って良い。

「手がかりナシかよ……」

ぽつりと情けない調子で呟いてみれば、二つ隣のベッドでしいなが小さく身じろぎをする。起こしてしまったかと身構えたけれど、一瞬緊張が走った後に、部屋はそのまま静まり返ってしまった。

――そっと息を吐く。さすがに疲れはしたが、かと言って眠ってしまいたいような気分でもない。

クルシスの残酷なやり口、俺自身の弱さにも、悔しさが募って怒りを覚える。あいつらはたぶん、一人ずつを見せしめのように痛めつけ、殺し、最後に彼女だけを残すつもりだったのだろう。おそらくは、その行為に何の意味も無く。

ただ持ち合わせた残虐性を満たすためだけに、あいつらはコレットの目の前で仲間をいたぶり、傷つけ、壊そうとしたのだと。それを思えば思うほど、自分が痛めつけられることよりも、ただそのことに憤りを覚えた。これ以上、彼女を傷つけてどうしようと言うのか。抱えすぎているくらい抱えているコレットに、まだ余計な苦しみを背負わせようとするのなら。

――するのなら俺が許さない、と。二の句を継ぐことが独りよがりであることも、今更十分に分かっているつもりだった。いくらもっともらしく正義を嫌ったところで、俺が自分の意志で進んで行こうとする以上、それはやっぱり独善にしかならないんだろう。それを分かっていてさえも、心が許さないことだってある。――どうしたって、譲れないことがあるんだ。

全ての人間にとっての正義だとか悪だとか。そんな大それた考え方をどれだけ嫌っても、大切な女の子一人の助けになりたいと願う、俺自身の中の決意だけは決して捨て切れない。

「う、ん……」
「ん……?」

――灯火の落ちた部屋には、変わらず月明かりだけが満ちている。ぼんやりと思考に没頭していると、ふと隣のベッドでコレットが小さく吐息するのが感じられた。それがどうにも苦しそうな響きをしていたせいで、自然と次の一動を身構えてしまう。合間はおそらくほんの一秒、ないしは二秒。それなのに、コレットが不安げな表情をするだけで、どうしようもないほどの焦りに駆られる。

――こんな感覚を覚えるようになったのが、一体いつ頃からだったのかは分からない。あるいは、旅を始めた頃からか。あるいは、それよりさらに昔からのことだったのか。

どちらにしても、自分が思うよりもはるかに長い間、俺はコレットの存在に安心を覚えていたのかもしれないな、と。そんなことを思うにつけ、何事も大切に背負ってしまう彼女のことを、やり切れないまま渦巻く苦しみから救ってやれたらいいのにと、ただそればかりを願ってしまう。

「や、いや……!だめ……だめ……!」

つかの間。緊張の糸が張り詰めるままに静観していると、叫びにも似た拒絶の言葉がコレットから放たれる。悲愴なそれが一体何を意味するものなのか。考える間もなく、気付けばほとんど無意識に、俺は自分の手のひらをコレットのそれに重ねていた。

「……コレット」

そのまま眠る皆を起こさないようにほんの小さく名前を呼べば、見慣れた瞳がゆっくりと開いて、それからゆったりとこちらを見やった。月の光に反射して、うっすらと滲んだ涙がどこか危うい。

「あ、……ロイ……ド……?」
「ごめん、うなされてたから起こしたんだ。……苦しそうだったから、そのまま眠らせておくよりはいいんじゃないかと思って……」
「わたし……夢……?ロイド……。あぁ、そっかぁ……よかった……」

目覚めたばかりのコレットはまだどこか混乱を拭いきれないといった様子で、気を抜けば泣き出してしまいそうなほど、清純な弱々しさに覆われている。余程の夢を見たのだろうか。少し震えているのが分かって、思わず手のひらを強く握ってやれば、珍しいほど弱く、けれど縋るかのように強く、ぬくもりごと握り返された。

「……少し、外に出よう。立てるか?」
「あ、……うん、だいじょぶ……」

了解を取って手を引けば、コレットは戸惑いがちに俺の後ろを付いてくる。暗がりの部屋に控えめな靴音が響くたび、怯えたふうの一挙一動から目を離さない。

細心の注意を払って扉を開ければ、夜の割には明るい世界が顔を出す。振り返って現実感が無いふうにきょろきょろと部屋を見回したコレットは、それから一度、大きく安堵めいた息をついた。

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