Cryolite-3-

「それではさっきも話したように、今夜は野営です。各自二人ずつになって、暖を取るのに使えそうなものを探してきてちょうだい」
 夕刻。リフィルの一声で、一行は割り振りを相談しようと一同に会した。どうやらこの森には目に見えて強い魔物がいないようだったから、二人一組の編成でも問題が無いだろうとの判断だった。
「男女一人ずつが望ましいわね。女性だけでは何かと苦労するでしょうから」
 その言葉にジーニアスが期待の眼差しでプレセアを見たが、直後の「子どもだけでは行かせられないわ」の声に意気消沈。結局相談の上、ロイドはプレセアと、ジーニアスはしいなと、それぞれ行動を共にすることが決まったのだった。
「私はここに残るわ。荷の面倒を見る人間が必要だし、内容を全てを把握しているのも私しか居ないでしょうから」
「ならば私もここに残ろう。両手を封じた身の上ゆえ、あまり役には立てないだろうからな」
 戦闘に関係の無い場所ではリーガルも手枷を外すが、この森とて完全に魔物が出現しないというわけではない。となれば手枷を外すわけにも行かず、単純に護衛役として力を振るう他無い。
「と、いうことは、俺さまはコレットちゃんと一緒ってことね。役得役得〜」
 そこへ、これまで無言を貫いていたゼロスの声が割り込む。明るく放たれたその言葉は、さながら本当に嬉しそうな響きをしていた。
 正直なところ、積極的に誰かと一緒に行動したいという気分ではなかった。元より一匹狼なゼロスのこと、常に誰かと一緒に居るという状況はそれなりにストレスにもなったし、もどかしさをも感じさせた。――いや、正確にはそう思っていたいだけなのかもしれない。この小さな世界の中に居ると、自分が変わってしまいそうで怖かったのだ。孤独で居たいと思い込んでいる自分が押さえ付けている、本当の願いに気付いてしまいそうで、それにひどく抵抗感を覚えるせいなのかもしれない。
「ゼロスと一緒なら心強いね!よろしくね、ゼロス」
 そう言ってにこにこと笑うコレットをよそに、内心気乗りのしないゼロスをよそに、ゼロスへ数名からの信用無げな視線が飛ぶ。「手を出すなよ」、「分かってるよな」と、そう言いたげな無言の圧力にたじたじになって、ゼロスは「俺さまってばそんなに信用無いの?」と吐息した。
「アホ神子に信用も何もあるかってんだい。いいかい、コレットに何かしたらタダじゃおかないよ」
「ゼロスくん、袋叩きの刑……です」
「ちょ、ちょ、怖いこと言うなって。純粋で善人の中の善人みたいな俺さまが仲間にそんなことするわけないでしょうよ」
「……初対面でコレットのこと口説いてたのはどこのどちらさまでしたっけーと」
「ぐ……」
 ジーニアスの追撃に返す言葉無く、ゼロスはついに敗北を喫する。その間争いに介入せず皆を眺めていたコレットは、どことなく、言いようの無い不安感に囚われていた。



「……まったく、出発前から散々な目に遭っちまった」
 先刻取り決めた二人に別れてからしばらく。盛大に吐息するゼロスに、コレットは少し困ったような顔をして笑う。情けなさそうに肩を落とす様子は、悪ふざけの一貫として示される、ひどく見慣れたものだった。
「ごめんね。ゼロスがそんなことするわけないのにね」
 しょげたような態度のゼロスは、コレットのその言葉に内心だけで自嘲する。――コレットは本当に純粋だ。どれほど傷つけられても、苦しみを押し付けられたとしても、決して人を疑うことをしない。全てのものをありのままの形で信じ、裏側に張り巡らされているかもしれない謀略なんて気にも掛けない。
 ゼロスにとってそれはひどく愚かなことであったし、同時にひどく尊かった。今この瞬間にも裏切られていることを知らず、コレットは俺を慮るような言葉ばかりを掛けてくる。それに心癒される一方で、苛立ちを覚える自分が疎ましかった。穢れを少しも知らない少女を、脅かしてしまいたくなる衝動を諌めきれない。あとで自己嫌悪に苛まれることを嫌というほど分かっていても、迫り来るそれを拒絶しきれない。
「……そんなことするわけないって、それホントに思ってる?」
「え?」
「だってさ、俺は男で、コレットちゃんは女だろ。少しの間違いでどうにかなることもあんのよ?……世の中ってそういうもんでしょ」
 言いつつ、ゼロスはコレットの手を引いて、彼女の耳元に顔を寄せる。「ほら、こうやって」。少しばかり力を入れれば、コレットの軽い身体は易々と意のままになってしまう。力の差は歴然だ。これが見知らぬ人間なら、無警戒に心を許したが最後、流れのまま組み敷かれている、なんてことにもなりかねない。
「……誰にでもこうして近づくわけじゃないよ。ゼロスだから、だいじょぶだって思うの」
「そりゃ光栄。……けどな、それも思い込みかもしれないぜ」
 だって、お互い肝心なことを何も知らない。今旅をしている全員を裏切り続けていることも、過去に何があって、何が好きで、何が嫌いで、本当は何を目的に旅を続けているのかさえも。偽りを口にしているつもりは無いが、真実を口にしているつもりも無い。
 コレットがその心に何を抱えて生きているのかだって、正確なところは何一つ分かりはしない。本当に世界の人間を救いたいと願っているのか。それを苦にしているのかしていないのか。何を想い神子としての毎日を過ごし、何を想って旅に出たのか。――腹の底で何を考えているのかなんて、お互い、少しも分かりやしないはずなのに。
「……なんてな。コレットちゃんがあんまりにも無用心なんで、ちょっとからかいたくなっただけ」
 いい加減神妙さが増してきたところで「ごめんごめん」とゼロスが真面目な空気を壊して言えば、コレットはどこか戸惑ったような顔をして、けれど追求も出来ずに「うん」とだけ言った。上手く誤魔化されたと分かっても、深追いするだけの隙も無い。
 ゼロスがいつだってどうしようもなく他者を警戒しようとしていることは、コレットとて理解していた。自分が受け入れたくないものまで受け入れようとしてしまうのとは反対に、ゼロスはきっと受け入れたいものまで受け入れようとはしない。無意識にそれを感じ取っていても、どうしてもそれを言葉にすることは憚られた。たとえ今のような空気になったとしても、いつもゼロスが自分からそれを打ち壊してしまうから、それを無視して踏み込んでいくだけの強さがコレットには無かったのだ。
 二人がお互いと居ることは、心地良さと少しの危うさを感じさせた。世界で唯一同じ痛みを共有出来る存在。けれどそれを話してしまえば、何かが切れてしまうような気がした。話せば楽になれると思うのに、それを試みるだけの力も無かった。結局、二人は会話も無く森の奥へと歩むだけ。少し離れた位置に聞こえる、小川のせせらぎが痛かった。
「え……?」
 ふと、コレットが驚いたような調子できょろきょろと辺りを見回す。「どうした?」とゼロスが問い掛けるのも聞かぬまま、「どこ?どこから?」と呟いて、「魔物の気配がするの……!」と焦ったようにそう言った。
「魔物って……」
「ここまで出会ったみたいなのじゃなくて……もっと大きくて、でも、どこからか分かんないよ……!」
 事実、コレットには確かに魔物の感覚があった。獰猛ではないが、戸惑う二人を面白がるような――さながら笑い声のような。それなのに、どこに居るのか分からない。姿が見えない。夕刻とは言え、まだ明るさも十分だ。見た目にも穏やかな森の中で、たった二人を嘲笑う声。近い。
「きゃ……!」
「コレット!」
 コレットの叫びが小さく響いてゼロスが振り向けば、同じような衝撃が背中に走る。咄嗟に掴んだコレットの右手も、何処かへ落ちて行く感覚のあと、気付けば振り解けてしまっていた。

→Next