Cryolite-11-

 蝶の飛び去った先へ進んで行くと、これまでより些かものものしい通路に行き当たった。両端には途切れることなく青白い炎が灯され、神秘的な出で立ちは、さながら祭壇へ続く順路といった様子だ。行き着く先が確認出来ないほど道のりは長く、遠い向こうには底無しの暗闇が広がっている。
「いよいよ怪しいな、こりゃ」
 先ほどまでの清く澄み切った空気はそのままに、しんと静まり返って暗色が映える。叶うなら足を踏み入れることは遠慮願いたいと思ってしまうほど、この場所は不気味な雰囲気に包まれていた。
「この先に居るのかな……?」
「さあな。ま、どっちにせよ狙われてるみたいだし、歩いてきゃそのうち鉢合わせんだろ」
 気楽な調子でゼロスは言って、ここまでの彼の蝶の凶行を思い返す。ふいに声が降り注いだかと思えば唐突に過去を見せ付けられ、絶え間無い、無邪気なまでの詰問を受けた。純粋さと狂気が入り混じったかのようなそれは最初、つかみ所の無い風のような存在だった。
 二度目に出会ったとき、「それ」はさらに旺盛な知識欲をぶつけてきた。過去を覗き、突き付け、存在意義を問い掛ける。およそ遠慮など一切見られない、今になって振り返れば、それは一度目よりもひどく一方的なものだった。
 二度の邂逅を重ね、三度目になると、ようやく「それ」は姿を現す。何気ないふうを装いコレットに毒を含ませ、挙句命を奪いかねない事態を引き起こしたのもあの蝶だ。――疑うまでもなく、段階を追うごとにやり口が残忍になっている。巧みな扇動によって結い上げられた負の感情を力に変えて、あの蝶もおそらく成長しているのだろう。暴力的な資質は無いようにも思えるが、その分知能面はあからさまな脅威になり得る。
 「それ」が最終的に何を求めているのか。相手の目的が不確かなままで誘いに乗ることには気が引けたが、今更敵陣に飛び込んで行く以外、取り立てて有効な手立ても見つからない。
「一応確認しとくが、術者を倒せば幻覚は解けるんだったよな?」
「うん。幻術は術者自身の魔力で操っているものだから、それを倒せば解けるって……」
 前にね、リフィル先生の授業で教わったことがあるの。言って、コレットは急いてしまいそうになる気持ちを抑えつつ、遅れぬようにゼロスの隣を歩く。歩幅を合わせてくれているのだろう。本来かみ合わないはずのその距離は、いつになっても開かぬままで、ひたすらに平行線をたどっていた。
「……ねえ、ゼロス?ゼロスは、ここから出られたら何がしたい?」
「ここから?あー……ま、とりあえずは腹ごしらえってとこだな。ロイドくんにいいだけ夕飯用意してもらって、後のことはそれからだろ」
「ふふ、そだね。私もお腹すいちゃった」
 旅の仲間には比較的食事にはうるさい面々が揃っているから、日頃なら、連続して何時間も食事を摂らないことは滅多に無い。然るべき時間に然るべき量を口にするから、基本的には空腹に耐えかねることはほとんど無いと言っていい。何は無くとも食料の確保。それを地で行くような集団の中で、たまの空腹はやはり堪える。
「なんか……ちょっと、怖いね。吸い込まれちゃいそうな……」
 辺りが影に覆われ始め、終わりの見えない暗がりに足を踏み入れると、そのまま戻れなくなってしまいそうな錯覚に陥った。心なしか底冷えのする空間には尽きることなく炎が灯り、明暗のコントラストが殊更不気味さを醸し出している。――心がざわつく感覚。説明がおぼつかないほど限りなく本能的な部分が、「それ」の襲来を予感させる。ほんの微細な、おそらく彼らだからこそ感じ取れてしまう程度の気配が、この道の奥には佇んでいる。
「一応、引き返すなら今のうちなんだろうが……」
「でも、そういうわけには行かない、……よね?」
「ま、そういうこったな」
 諦め混じりに確認を取り合って、二人は未知の空間へと歩を進める。おそらく想像している以上に、この先に待ち受けている現実は危ういものなのだろう。そう思わせるのにも十分なほど、透明にぴんと張り詰めたこの空気は、恐怖というよりどこか、畏怖のようなものを感じさせた。
「あ……居る」
 あそこに。ふいに呟いて、コレットの顔色がひどく真剣なそれへと変わる。視線が示した先には、祭壇に舞い降りる青き蝶の姿があった。
「同じヤツか?」
「うん、あの子……だけど、何だかちょっと、ヘンな感じ……」
「変?……ああ、なるほどな」
 一瞬の間の後で、ゼロスが理解したふうに顔を顰めれば、コレットもどこか悲しそうに目を細めた。
 これまで何度にも渡り接してきた、そのどの瞬間よりも強大な力。一言で形容するのなら、そこにあるのはただ「冷たい力」でしかなかった。興味や純粋さに囚われた無邪気なさまとは打って変わって、冷徹さを兼ね備えた絶対主のような。言い知れない威圧に満ちたその姿は、静かな狂気を秘めている。
「来てくれたの。ねえ、来てくれた。これで、僕はここから出られる!」
 二人の気配を気取ったのだろう。はしゃいだような調子で声を上げた「それ」は、ひらひらとその場を二、三度飛び回り、それから一度台座にその身を収めてみせた。
「その力があればいいだけなの。何よりも強い君たちの痛み。それが僕の傍にあれば、それだけで……」
 ひらり、と、翅を翻すたびに、幻想的なオーロラ色の鱗粉が宙を彩る。先ほどの出来事を思い、身構えてはみたけれど、それからいくばくかの間が空いても体調に変化は見られない。不思議なことにこの瞬間のそれは、取り立てて二人に害をもたらすものではないようだった。
「ねえ、教えてくれる?あなたは、何者なの……?」
「僕?僕は、影。僕は、影にされてしまっただけ」
「いつから、ここに居るの?」
「いつから?わからない。でもね、僕は光になりたい。ずっとこんなところは嫌なんだ。ニセモノの光を作り出して生きるのには、もう飽きてしまったから」
 ずっとね、世界を創りながら生きてきたんだ。誰も迷い込むことの無い、僕だけが神様で在れるこの空間で。別にね、それが楽しいわけじゃなかったけど。――うん。だけど、何もしないよりは良かったかな。だって、少しだけ気が紛れたもの。饒舌にそう言って、「それ」は続ける。
「それに、こうして君たちにも会えたから。それが、光。僕が光になるための、そのための光」
「私たちが、光?」
「そう。だから、もう少しだけその悲しみを、その切なさを、僕にちょうだい。それが、糧。独りきりじゃ、いつまで経っても飛び立てないまま」
 ごめんね。でも、僕が悪いわけじゃない。全ては、君たちが悲しみを持ち合わせたその所為で。その所為で、君たちは僕に出会ってしまったの。
 それは、きっと君たちの運命。それから、限りの無い僕の幸運。それはいつも偶然であったし、必然でもあったし、全ては僕のためであり、きっと君のためでもあった。謎掛けのようなことを呟きながら、「声」は歓喜に揺れ揺れる。純粋さと明確な力がせめぎ合うそれは、不安定なあまり狂気にも似ていた。けれど一方で、どうしようもない寂寞にすら囚われる。曖昧な浮遊感の中で、圧倒的な存在感をもったまま、「それ」は一度動きを止めた。
「逃れられなくても構わない。だって、それは君たちの所為。君たちを苦しめるものは、いつだって君たちの中にしか有り得ないんだから」
 君たちの心が閉ざされてしまう頃には、きっと僕の力は満たされる。そう言って嬉しそうにひらひらと青色をはためかせてから、蝶は「それじゃあ」と一言続けた。
「そろそろ、お別れがしたいんだ。この暗闇に。いつまでも続く景色に。君たちの寂しさが世界にもたらすものはね、そんなに大きなものじゃないかもしれないけど。君たちの苦しみが生み出した僕の望む世界は、きっと毎日が美しい」
「何をする、つもりなの……?」
「僕?僕はね、ここを出たいだけだよ。ただ、それだけ」
「そうじゃない。……そうじゃないよ。あなたはここを出たあと、いったいどうするつもりなの……?」
「そんなこと、決まってる。この世界では神様の僕にでも、たったひとつだけどうにもできないものがあるの。だから、僕はそれが欲しい。全てを逆転させられる、とても大きなその存在が」
「……何だってんだ、そりゃ」
 言い知れない焦燥に駆られてゼロスが口を挟めば、それを何でもないことのように、蝶は高らかに笑ってみせる。
「僕はね、命を作り出せない。この場所が寂しいのは、きっとその所為。だから光の下でたくさんの命に出逢って、僕は空っぽのこの世界を満たすんだ!」
 ねえ、どうかな。とても、いい案だって思うでしょ。無邪気なまでにそう言って、蝶は得意げに二人の周囲をくるくる回る。
「……狂ってる」
 青ざめていくコレットを横目に、ゼロスは苦々しげにぽつりと言った。
 自分が光の下に生きたいのではなく、全てを自分の支配下に置き、玩具にしてしまいたいのだと。――そんな馬鹿げた話、聞いたことが無い。あの傲慢極まりない天使たちでさえも、せめて同胞くらいは守ってやろうと努めるだろう。
「そんなの、何にもならないのに……」
 コレットは言って、広がり始めた闇色に、抵抗するかのようにゆるゆるとかぶりを振った。
 ――たとえば、自分の思い通りに何もかもを動かして。そこに争いもなくぬくもりに満ちた、優しい世界が生まれたのだとしても。
「……そのとき、あなたはまた、神様になってしまうだけなのに」
 コレットの落とした言葉は、けれど蝶には届かない。薄暗く飲み込まれていく暗闇の中で、二人はただ為す術も無く、高揚感に支配された笑い声だけを聞いていた。



「これで、最後。まずは、君から」
「ご指名かよ。さぞ光栄なことで」
 皮肉混じりにゼロスは言って、隔絶された空間を緊張した面持ちで見つめていた。今までのそれに比べ、圧倒的な威圧感。それなのにやけに澄み渡るしんとした闇色は、絶望の予兆のようにさえ思わせる。
「もしもの未来を君にあげる。きっと君が望まない未来。僕だけが否定出来る悪夢。失意の無い世界のために、狂おしい感情ごと僕にちょうだい?」
 激情は、きっと君がくれるはずなの。言って、それきり蝶の声は絶える。
「ん……?」
 ふいにまどろみが襲って目を閉じれば、次に目覚めたのは見慣れた雪の街だった。幼い頃時折訪れたこの場所は、先日、数年ぶりに足を踏み入れてからまだ日が浅い。――おそらく夢を見ているのだろう。そう理解は出来たものの、そのまま覚醒してくれる様子も無い。仕方が無いとゼロスが身体を起こしたその直後、目の前に広がったのは、予想だにしない光景だった。
「どうして裏切ったりなんか……」
「……やはり、あなたを信用すべきではなかったようね。……今更、遅いのでしょうけれど」
 痛みに弱々しく言ったリフィルは、軽蔑の眼差しを含んでゼロスを見やった。ふと辺りを見渡せば、血の色に満ちた白銀の世界。――その中心に居るのは、剣を突き付けている、自分。
「コレットを、……どうする気だい……」
 その子に何かあったら、タダじゃおかないから。敵意をむき出しにこちらを見るのは、馴染みの忍者。ほらね、だからずっと怪しいって思ってたんだ。笑みさえ湛えて否定をくれるのは、疑り深くて賢い子供。
「何の、理由が、あって……こんなことをする。……それは、仲間を裏切って、なお……達されるべき使命、なのか……?」
 優先すべきものの重みを量り違えてしまったのなら、きっと後悔するだろう。こんなことをして、何の解決にもならないことを、一番理解しているのは君なのだろうに。そうして咎めるように、諭すように――哀れみさえも隠さずに、苦悶の表情を浮かべるのは罪に苛まれ続ける男。
「私、……まだ、何も恩返しができていない、のに……ゼロスさん、あなた、は……」
 私はあなたにも、返すべきことがたくさんあったはずなのに。ごめんなさい、憎しみしか生まない怒りは、もう持たないと決めたはずなのに。このまま立ち去られてしまったら、私はきっとあなたを恨んでしまいます。そう語るのは、時に置いていかれた少女。
 驚きと戸惑いと、限りない軽蔑を含んだ視線。真っ向から突き付けられるそれらに、眠りの中のゼロスは言葉を返すことが出来ずに居た。目の前で事態は進んでいるというのに、発言権を奪われている。この夢の中でゼロスが取ってしまった行動はおそらく取り返しなど付かず、全ては既に決されている。それを中心に立って眺めさせることで、絶望に叩き落す魂胆なのだろう。
 ――けれど、それを理解していてさえ、これではあまりにも。
「……ゼロス、コレットを放してくれ」
 明確な敵意を持って、最も対峙したくないと願う相手に切っ先を向けられる。時折見せる、行き過ぎたが故の静かな怒り。仲間を一人残らず殺されかけている現状を鑑みるに、このどうしようもない熱血漢にさえ、これ以上仲間と見なされることは無いのだろう。
 ――ああ、そうか。このまま、躊躇いも無くその手のひらに罰されるのだろうかと。結局世界の誰ひとり、信用されずに終わるのだろうかと。それを思うと、ひどく虚しさが込み上げた。
 ――そう、虚しさが過ぎった、瞬間のことだった。
「ロイド……?い、嫌……!しっかりして、やだ、やだよ、ロイド……」
「え……?」
 気付けば手のひらは返り血に穢れ、生ぬるくべた付く、慣れきった不快感だけがその場に残る。悲鳴のような少女のいたわりの声が、今は嫌に耳に遠い。
 ――顔を、上げられない。ああ、どうして。どうしてだ。無意識に求め続けた罰よりも、貪欲な自己愛が勝ったとでも。それとも衝動に負けたのか。浅ましく生きることにしがみ付こうとしたのか。こんな、未来の見えないどうしようもない生き方に。
 見えない力に引きずられるようにして目前を見やれば、胸を一突きにされ、物言わぬ骸と化した少年の姿。ああ、ああ、もう戻れない。これは、踏み止まるべき禁忌だったのだ。今更になって、泣き叫ぶ少女を目の前にして、ようやく気付く。この少年が崩れた瞬間、あらゆる世界は、希望は崩壊する。これだけは、これだけはどうしても、避けなければならなかった結末なのに。
「どう、して、なの……」
 怯えきった瞳でゼロスを見やったコレットに、返す言葉も無く立ち尽くす。
 ――全てが潰える終末は、絶望を植え付けるのには十分すぎた。



「上手くいったみたい。とても、強い力。あとはね、君だけ」
 それが終われば、僕の世界は孤独じゃなくなる。言った蝶に、コレットは不安げな表情でひとつ尋ねる。
「ゼロスは無事、なの……?」
「ううん、知らない。壊れちゃったら、それまでだもの。人は脆いから。自分の弱さに簡単に押し潰される」
 でも、それは僕のせいじゃないの。僕は、見せているだけ。心を、映すことしか出来ないから。何でもないことのように言って、蝶は「だから、知らないよ」と、それだけを一言。
「そんなこと……」
「犠牲は付き物だって誰かは言うでしょ。それと同じ。別にね、本当に守ることが出来ないものなんて、きっと限られてる」
 だからそれに負けてしまうのは、ただその心が弱いだけ。ねえ、君はどうなってしまうのかな。そんなに、興味も無いんだけど。言って、蝶は優雅に虚空を舞った。ゆるやかな追い風に当てられて、ふいの眠りに誘われる。ああ、駄目だ。この夢を受け入れてしまったら、きっとこのまま私はここで。――だけど、抗えない。精一杯の拒絶も虚しく、コレットは静かに瞼を下ろす。
「……おやすみ。君に渡すのも、同じ夢。君のくれる失望に、大きな力がありますように」
 そうクスリと笑った蝶の影は、一点の曇りも無い、ひどく暗澹とした漆黒だった。
「ここは……?」
 コレットが目を覚ましたそこには、先ほどゼロスが意識を取り戻したその場所よりも、いくらか以前の時間にあった。見慣れた町の中を外れに向かって歩いている、そんな何気ない風景。けれど、そんなありきたりさの中に、止め処無い不安が渦巻く。――これはおそらく夢なのだろうと。それに気付けていてさえも、平穏すぎる今、この瞬間が恐ろしかった。
「綺麗だよなぁ。やっぱりさ」
 他意無くロイドが呟けば、口々に賛同の言葉が返る。ただひとりが訝しげな表情を浮かべていることに、誰しもが注意を向けることは無かった。
 けれど、ああ。この白は、ゼロスにとっては痛みでしかなかったのだと。薄ぼんやりと靄がかった意識の中で、コレットはそれとなくゼロスの横顔を見やる。思いつめてしまった表情。声を掛けてあげたかったのだけれど、夢がそれを阻んでしまう。――たった一言。それを伝えられさえすれば、言いがたいこの焦燥感を振り払ってしまえる気がするのに。きっと、この存在は視点でしかないのだろう。用意された映像を、主人公になりきって追体験するだけの無力な存在。この身は今、そんなふうに成り果ててしまっているのだと思う。
「なあ」
「ん?」
「……本当に綺麗だって思うか?」
 ロイドの言葉からごく僅か。静観していたゼロスが、ふいに笑みを交えて口を開いた。抑えたように響くそれは、だからこそ余計に嘲笑じみて、雪の降りしきる静寂へとひやりと落ちる。「あーあ、お気楽な人間はいいよな」と。そう剣を引き抜いてから、目にも留まらぬ速さでゼロスはコレットを羽交い絞めにする。
「悪いな。……一緒に殺してやった方が親切なんだろうが、そうも行かねぇんだ」
 ぽつり、と耳打ちをして、ゼロスはコレットへ割り切れない哀れみを向ける。ああ、追い詰められているのだろう。近くに居れば、痛いほどによく分かる。その揺れる瞳を打ち消したまま、きっと取り返しの付かない道を歩んでしまうのだろうことも。そう決意することでしか、自分を保てないのだろうことだって。
「……これはいったい何の真似かしら。説明して頂戴」
「何でも理屈から入ろうとするとこ、別に嫌いじゃねぇけど。……そうやって理由ばっか追っ掛けてたら、見失うもんもあるってこった」
 言ってから、ゼロスはコレットを力いっぱい後方に突き飛ばして、対峙するリフィルに切っ先を向けた。
「……悪いな」
 そう一言こぼしてから、臨戦態勢を整えられる前にと、一閃。
「え……?」
 まるで状況を飲み込めないまま、リフィルはその場に崩れ落ちる。
「リフィル、先生……?」
 ほんの一瞬の出来事に、周囲は呆然としたままでそれを見やった。鮮烈な紅が真白の絨毯を染めて行くさまは、現実離れしていてひどく美しい。コレットはそうして目の前の風景を見つめながら、場違いな感傷をいくらか抱く。――そうすることでしか、目の前の現実を逃れられそうにはなかったから。
「悠長に話してる時間はねぇんだ。……やるってんなら、お前らもすぐにああなるぜ」
 感情の希薄な様子で言ったゼロスを見やったまま、コレットはその場から動けずに居た。恐ろしいと思うのに、きっと本気なのだと分かるのに、まるで身体が言うことを聞いてくれない。――裏切られたのだ。このままでは皆が皆殺されて、このまま私は連れられて、きっと何かを強いられてしまうのだろう。そう思っても、頑なに受け入れられないこの心には、憎しみひとつ湧いてくれることさえ無かった。――疑問。この場所にあるのは、ただひたすらにそれだけだった。
 目の前に流されていく残酷な映像を、他人事のように倒れ込んだままで眺めている。プレセアが斬られ、リーガルが破れ、しいなが呻き、ジーニアスが狼狽しても、コレットはただそこに縛り付けられたままだった。何かの間違いであってほしいのに。現実逃避を願い、これが夢であることさえ忘れて、うわ言のように朽ちてゆく仲間の名前をただ呼んだ。
「……コレットを放せよ」
 そこで、聞き慣れた声にはっとする。――ああ、いけない。ロイドを失ったら、私は、立っていられなくなってしまう。求めないでほしいと思った。捨て置いてほしいと思った。きっと神子なんて形式的な神様よりも、世界はあなたのような人を必要としているに違いないから。こんなところで何もかもを失って、終わりを早めたりしてはいけない。何も救われない。全てを助けられない。この生きにくい世界の中で、希望の代わりになり得る人が居るとするなら、きっとそれは私じゃなくて――。
「……ごめんな、ロイド」
 ――血飛沫が舞って、ひたひたと、白雪の海がそれを吸い上げる。刹那の一瞬が、まるで永遠のようにも思える時間。絶望的な色を宿したロイドの瞳を、今初めて見たような、気がした。
「どうして……」
 狂いそうな心地がする。叫びだして、壊れて、縋り付いてしまいたかった。いやだよ、と。泣きついたその抜け殻は、雪の色に冷えきってひどく冷たくて。今この瞬間この場所で、全てが終わってしまうような気さえした。
「ありがとう。何も救えない君の絶望が、僕を影から掬い上げてくれる……」

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