Cryolite-1-

 木々の波に隠れるようにして、一行は穏やかな森を進んでいた。木漏れ日にゆるやかな風が吹いて、時折ざわつく葉の音が、耳にことさら心地良い。
 つい先日暗殺者とおぼしき数名に野営地を奇襲されてからというもの、万一の敵襲を避けようと、一行は日中の移動に関して極力人目に付かない順路を選ぶようになっていた。一旦街に入ってしまえば人波に紛れてしまえる分それほど警戒する必要も無いが、問題はそこにたどり着くまでにある。何しろ現在の編成はひどく大所帯だ。広大な平地を多人数で歩くには何かと危険が大きすぎるし、敵が多い身の上、もしもの場合に余計に悪目立ちしてしまう。奇襲によって一網打尽にされるリスクを減らすためにも、そもそもの遭遇を回避するためにも、彼らが目立たぬ道を探り当てて進むことは必然だった。
「まだ抜けられないのかい?いったいどこまで続いてるんってんだい、この森は」
「このあたりはテセアラ有数の森林地帯よ。外周を迂回出来ればそれほど分かりにくい道筋ではないはずなのだけれど、一旦内部に入ってしまえば構造は割合複雑だわ。まだここに入って二時間と少しというところなのだから、抜けきるまでにあと半日はかかるでしょうね」
「これをあと半日もかい?冗談もいい加減にしとくれよ……」
 そう言って溜め息を吐いたしいなの言葉に、「まったくだよ」とジーニアスが賛同の声を上げる。目に見えてげんなりとした表情を浮かべてから、「姉さん、そういうのは最初に言ってくれると助かるよ……」と、ジーニアスは半ば諦め口調で肩を落とした。それからはっとしたように顔を上げ、勢いのままにプレセアの方を見やる。
「あ、あの、プ、プププレセアは大丈夫?その、ず、ずっと歩きっぱなしだけど、疲れたりとか……」
 そうして突然話を振られたプレセアは、「何故この人は焦っているのだろう」とでも言いたげに不思議そうな表情を浮かべ、ジーニアスを見やる。やがて「いえ」と前置きした上でこう言った。
「ありがとうございます、ジーニアスさん。でも、私は大丈夫です。木を刈るのによく森へ出ていたので、森の中の道には慣れていますから」
「あ、そ、そそそうだよね!うん、ならいいんだけど!」
 まさに撃沈、といったふうに再び肩を落とすジーニアスに、プレセアはなおも疑問げな調子で小首を傾げた。基本的に、彼女にはそう言った類の感情はあまり意味を為さない。親切を親切なのだと理解することは以前より上手くなったけれど、照れや緊張など、極端な感情についてはまだまだ理解が追いつかないのだ。そもそもエクスフィアから解放されたばかりの頃は、今よりもさらに感情が希薄で一行は会話を成立させるだけでも随分と苦労させられた。それを考えれば、いま「悲しい」とか「嬉しい」とか、ひどく基礎的な事柄を受け入れられるようになっただけでも、この旅で大いに成長していると言っていい。
「ったく、何だかんだお子様は元気だわ。……ん、ハニー、何やってんの?」
 ジーニアス達のやり取りを遠巻きに見やりつつ、ゼロスは呆れたように呟いた。ロイドが前方で何やら得物を取り出したのを見て取って、何とはなしにそちらへと声を掛ける。
「ん?ああ、ここは大きそうな通りだから、こうやって目立つ木には印を付けてるんだ。その方が迷ったときに戻って来やすいだろ?」
「はーん、なるほどねぇ。さすがに用意がよろしいことで」
「いや、小さい頃、コレット達と森でかくれんぼしてたらコレットが迷子になってさ。そのことがあってから、何かあったときに絶対に戻れる場所を作るようになったんだよ」
 たしか親父に相当絞られたんだよなぁ、あの時。ばつ悪そうにそう言って笑うロイドに、ゼロスは「なーにやってんの」と笑い返して、それからほんの一瞬ひどく神妙な顔をする。本当に、ロイドと言ったら分け隔ての欠片も無い。普通シルヴァラントの神子といったら、真実を知らない人間にしてみれば救いの神にも等しい存在だ。彼らの認識を借りて言うのなら、神子を失えば全てが絶える。実際ゼロスはコレットからシルヴァラントで自分がどのように扱われていたのかを聞いたことがあったけれど、それは必ずしも好意的に受け入れられるようなものばかりではなかった。「みんな、私のことを大切にしてくれたことは本当だよ。でも、ちょっと大切にされすぎちゃった」と。そう語ったコレットの表情は、嬉しいと言うより、悲しいと言うより、ただただ切なく苦しげだった。
 もちろんコレット自身、その扱いが当然のものであると理解はしているのだろう。それでも、本心からは受け入れられない。生まれ落ちた瞬間から「神の子」だと持ち上げられ、やがて死が待つ運命を受け入れろと迫られ、強いられ、それを笑って受け入れる。そんな理不尽すら受け止めたのに、人より短く定められたその命を、普通の人間と同列に過ごすことすら許してはくれない。
 ――けれど、それは至って当然のことだ。ゼロスは思う。罪を強いる側が強いられる側を自分と同じ位置に据えてしまえば、それはただの残虐になってしまう。コレットに犠牲を強いることを正当化するには、どうしたって最後までコレットを「特別」で居させなければならない。
「っとに、フツーの感覚だとそうなるんだけどねぇ……」
「ん?なんか言ったか?」
「何でもないって。ほら、進んだ進んだ」
「あ、ちょ、押すなって。ゼロス!」
 それなのに、ロイドと来たらまるでそういったところを気に掛けない。「神子だって何だって、コレットはコレットだろ?」と。ロイドが当然のように口にするそれが、他人にとってどれほど難しい言葉なのかすら、ロイドは少しも考えない。結局、ロイドにとってはその一文こそ全てなのだ。だからこそコレットがコレットでさえあるのなら、神子の責任を真っ当しろとすら言わない。
「……ありゃ、そういや肝心のコレットちゃんは?」
「コレット?ああ、コレットならさっき近くに水の音がするから、水を汲みに行ってくるって言ってた。リーガルが付いてくれてるから大丈夫だよ」
 天使化の名残もあって、コレットにはその気になればこちらの話し声を聞き取ることも出来る。急いで移動しているわけでもないし、戻ってくるのにもさして支障は無いだろうからと、リフィルが先ほど送り出したのだった。
「リーガルねぇ。そういやあのおっさん、昨日寝ずの番だったんじゃなかったか?この行軍きっついだろうな〜」
 ゼロスが「もう若くないんだし」と茶化して言えば、「確かにな!」とロイドが笑う。そういえば前にもこんなやり取りにリーガルが傷ついていたなと思い返して、ゼロスはおそらく皮肉ではなく純粋に同意しているのであろうロイドを何とも言えない目つきで見やった。
「……俺さま前から思ってたんだけど、ハニーのおっさんの境界線ってどこらへんよ?」
「は?」
「んーや、リーガルがおっさんってんなら、世の中の相当数がおっさんなわけだろ。その辺の基準がどうなってんのかなーとか思ったわけ」
 まさかとは思うけど、俺さままでおっさんだなんて言わないよな。ゼロスが冗談半分に言えば、ロイドが「まさか!」と笑って言った。
「ゼロスなんて俺と大した変わんないじゃん。さすがにおっさんとは言わないよ」
「変わんないって……おいおい、そりゃないだろ〜。俺さまとロイド君、いったいいくつ違うと思ってんの」
「四つや五つくらい違ったって、ゼロスだってまだ大人になってから少ししか経ってないだろ?なら大した違いじゃないって」
「だーかーら、俺さまがいくら若くてもロイド君にとっては俺さまの方がずっとお兄さんなの。背も追いつかないうちから生意気なこと言うんじゃありません」
 そう言ってゼロスが意図的にロイドを見下ろすふうな態度を取れば、ロイドは拗ねたような表情でゼロスを見やった。「背くらいすぐに追いつくって」。そう一言口にしてから、「三年で絶対後悔させてやる!」とロイドは内心意気込んだ。
「……でも、クラトスのことは別におっさんだとは思わないな」
 それからふと話題を戻して、ロイドは差し当たって思い浮かんだ人物の名を挙げてみる。唐突に口にされたその名前に、露骨に表情を歪めたゼロスに気付かぬままで、ロイドは続けた。
「いや、だからって兄貴みたいだとか、そういうふうに思うわけじゃないんだけどさ。……うーん、なんて言うのか……」
 ロイドのクラトスに対するこれまでの認識と言えば、とにかく最初から最後まで傭兵そのものでしかなかった。今は裏切られてしまった格好だけれど、ロイド自身はそれを本心からのものではないと信じているし、また信じたくないとも思っている。そうしてクラトスに対してはいつだって相手に対する「感情」ばかりが先行してしまうものだから、クラトスそのものをはっきりと位置づけたことは今まで無かった。
 ひとまず実年齢を置いておくとして、見た目だけなら十分若い。整った顔立ちに見事な剣筋が「傭兵」という立場以上に凛々しくクラトスを映し、それが若さに重ねて貫禄をも感じさせる。つまるところ、一言で言ってしまえばロイドはクラトスに憧れを抱いているのだろう。
 傍らのゼロスにしてみれば、クラトスに対しては悪感情以上のものを抱くことが出来ずにいた。無論、仕事相手としては申し分無い。大抵の報告は労せず伝わるし、どんなことがあろうと約束の刻限は守る。傭兵としての腕も確かだ。けれど、クルシスの目的を知っていながらユグドラシルに手を貸し、思考停止に身を投げようとするその姿は、ゼロスにひどく嫌悪感を抱かせた。こんな感情、どうせおそらく同属嫌悪の類でしかないのだろうと。それを理解していてさえも、自分の罪に目を瞑り、逃げ出そうとする人間を嫌わずには居られなかった。
「ま、ハニーは強いヤツが好きだもんな。多少贔屓目になっちゃうのも仕方ないんじゃないの」
 渦巻くあれこれを押し隠して、ゼロスは何の気ないふうに投げかける。けれどほんのささやかに残った棘は、ロイドに本能的な違和感を抱かせるには十分だった。
「……ゼロス?」
「ん、どうかした?」
「なんかお前、怒ってないか?」
 瞬間、ゼロスは後悔する。他人の感情の機微をこれほどまでに正確に察知する人間もそうは居ない。それも他人を謀ろうとあれこれ神経を尖らせているわけでもなく、ただひたすら無意識に。――ああもう、性質が悪い。
「なーんで今の流れで俺さまが怒んなきゃなんないのよ。俺さま全然ご機嫌よ?」
 状況を打開すべく、それらしい言葉をいくらか放れば、「ほんとかよ」となおも疑わしげなロイドの表情。
「うーん……ま、それならいいんだけどさ」
 結局、どこか納得がいかないといった様子でゼロスの言葉を受け入れて、ロイドはそれ以上の追及を諦めた。
「それで、さっきの話なんだけどさ。おっさんかどうかって、やっぱその人次第ってことなんだろうな」
 そうお気楽そうな調子で続けるロイドに、ゼロスは心の中で安堵の息を吐いた。

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