つよがり

カラハ・シャールの喧騒に紛れて、二人は市場への道を歩いていた。――この時期のこの街は、いつにも増して人通りが激しい。気候の穏やかさゆえに足を運ぶ観光客が増え、商人もまた、それに合わせて多くが商談を持ちかけるべくこの街に集う。

歓楽街ではないため取り立てて大きな催し物があるわけではないが、それだけに市街が賑わい、よりいっそう活性化する。物珍しい商品を手に取りうっとりと眺める女性、アイスキャンディを片手に母親に駆け寄る少年。交易の中心地でありながら、生活感が見え隠れするこの不釣合いさがまた、この街の良いところでもあるのだろう。

「なんでアルヴィンなんですか……」

どことなく楽しげな街の様子を眺め歩きながら、エリーゼは不機嫌そうにそうぽつりと呟いた。聞き逃さず振り向いたアルヴィンは、苦笑して彼女のご機嫌を伺ってみる。

「なんでも何も、運命ってヤツに負けたんだ。仕方ないだろ?」
「むう……そんなのわかってます!」
「アルヴィンじゃなければ誰でもよかったのになー」
「はいはい。……えらく嫌われたもんだね、俺も」

ティポの言葉に傷ついたような仕草を取ってから、アルヴィンは小さく溜め息を落とした。――先刻のことだ。シャール家の屋敷に数日厄介になると決めてから、一行は買い出し要員を選出すべく、至極平等で古典的な方法を試みていた。

じゃんけんの概念を知らないミラに一通りの説明をして、いざ本番。二人が一度目に出した手は同じ。――結果は、現在陥っているこの状況こそが物語る。

「一回で負けるアルヴィンが悪いんだぞー。エリーゼは最初からグーを出すって決めてたんだからなー!」
「そういうのを責任転嫁って言うんだけどな、お姫様」
「違います!……わたし、買い物に来たくなかったわけじゃありません」

アルヴィンと来るのがいやだっただけです。暗にそう言い含めて、エリーゼはふい、と顔を背ける。物量がそれほど多くはないから二人で十分じゃないかな、と。――あの時そう言ったのは誰だっただろうか。発案した人物を伸してやりたい衝動に襲われながら、アルヴィンはこの状況をどうしようかと思案する。

もとより、他人と険悪になること自体は慣れたものだ。今までそんなことはいくらでも経験してきたし、いっそ仕方がないと諦めることも出来る。ただ、それがこの年頃の少女であったことは未だかつて無い。芯が強いと思いきや、ある部分でとても脆い。そんなエリーゼの扱い方に関して言えば、アルヴィンはひどく無知なのだ。

「ティポ、離れないでくださいね。迷子になっちゃいます」

そのまま刺激しないようにとしばし静観していれば、エリーゼがティポに語りかける様子が目に入る。たしかに昼下がりのこの時刻、市場は混雑して視界が悪い。人足がまばらなカラハ・シャールを知っているだけに、これほどの人ごみにはどうにも慣れない。

「ティポの心配もいいけど、あんまり離れて歩くとお嬢ちゃんが迷子になるんじゃないの?」

少し前を行くエリーゼにそう横槍を入れれば、エリーゼは一度立ち止まって、不服そうに「子ども扱いしないでください」と怒りの目をアルヴィンに向けた。――まったく、何を言っても聞かないってか。困ったように額に手をやって、アルヴィンは「さいですか」と軽く目を閉じた。

「……アルヴィンは、いつも一言多いです」
「そんなこと言ってー。アルヴィンが迷ったら、探してやらないんだからなー!」

勢いよく目の前に乗り出したティポに少々身を引いてから、アルヴィンは前方から戻り来るエリーゼに視線を移す。「勝手に行っちゃだめですよ!」少し焦りながら言ってティポを抱きかかえたエリーゼは、そのままアルヴィンを見上げた。――視線がかち合う。

「大人が列からはぐれても、それは迷子とは言わないの。対処法を心得てるからな」
「わ……わたしだって、ひとりで帰れます!」
「バカにするなよー!」
「ったく……そりゃ、この街なら勝手が分かってるからいいだろうさ。そんなふうに強がったりして、他の街で置き去りにされても知らないぞ?」

呆れたふうを作ってそう言えば、機嫌を損ねたのかエリーゼはそれきり黙りこんで、アルヴィンの言葉に耳も貸さずにくるりと踵を返してみせる。

「……なら、アルヴィンが先に行ってください」
「は?」
「わたしが後ろからついていけば、アルヴィンは大きいから見失ったりしません」

それからほんの一瞬。あてつけのように放たれたエリーゼの一言は、アルヴィンにとって少し意外なものだった。エリーゼの性格ならば、先に行けと言わず、自分が先を歩くと言い出すような気がしていたのだ。

――誰しも信頼していない人間を頼ろうとは思わない。アルヴィンを前に据えて進むということは、それを指標にすることを、彼女自身が認めているのも同じこと。

「いいのか?前を歩いた途端にエリーゼ姫を置いて行っちまうかもしれないぜ?」エリーゼの言葉を受けて、からかうようにアルヴィンが言う。
「そ、……そんなことしたら、ジュードたちに言いつけてやります」力なく言って、エリーゼは視線を逸らした。

もともとシャール家の屋敷を二人で出る際、随分心配されてはいたのだ。このところどこか折り合いの悪いアルヴィンと一行との中で、エリーゼはとりわけ彼を敵視しているところがあったから。レイアに「変わろうか?」と密やかに打診されたりもしたし、ジュードにだって、「何かあったらすぐ言って」と釘を刺されて送り出されてもいる。

それなのに、あの場で突っぱねなかったのは何故なのか、エリーゼ自身もわからずにいた。子どもは子どもらしく、言えば良かったのかもしれないとも思うのに。「アルヴィンと一緒なら、行きたくありません」と。その一言が言えなかったのは、仲間たちへの申し訳なさ、だけではないのだろうと思う。

「おお、怖い怖い。……けど、俺を前に置くなんて、信用してくれてるんだ?」
「ち、ちがいます!いなくなった時にすぐわかるように、後ろから見張ってるんです!」
「裏切り者を監視してやってるだけだもんねー!」
「ったく……はいはい、わかったよ。そんじゃ、遅れずについて来るんだぞ」

ふう、と嘆息をして、アルヴィンはエリーゼの進言どおり、彼女の数歩先を歩き出す。これまで独りで歩んできたせいか、誰かを後ろに置くという経験が無かったから、たぶん気を遣うなんて真似は出来ないだろう。思いながら、アルヴィンは何とはなしに街行く景色に視線を流す。

そもそも気を配ってのんびり歩けば、それはそれでエリーゼは機嫌を損ねてしまうに違いない。後ろを確かに追いかけてくる少女を一度だけ振り返ってから、アルヴィンは前だけを見て目的地へと意識を向けた。

「ねえエリーゼ。エリーゼは、なんでアルヴィンと一緒に来たんだろうねー?」

――そこから少し後方。アルヴィンの背が見える程の位置で、エリーゼは足早に彼の姿を追いかける。この喧騒だから、ティポの声は届かないのだろう。最初に振り返って以来、ただの一度も振り返らないことに少しむっとして、それから少しほっとする。何度もこちらを気にされてもなんだか馬鹿にされているようで腹が立つから、むしろ放り出されるのはエリーゼの望むところだ。――だけれど。だけれど、少しだけ。

「なんでって……じゃんけんに、負けちゃったからですよ」
「ミラ強かったもんねー」

ティポにそう返答して、エリーゼは先刻の出来事を思い出す。買出しを決めるそれでは一度目で負けてしまった二人だけれど、ミラがじゃんけんにあまりに興味を示すものだから、出発前はしばらくじゃんけん大会が繰り広げられていた。案外と強いのがジュード、思ったよりも弱いのがレイア。したたかに勝ってしまうのがローエンで、全てを圧倒してしまうのがミラ。それから。

「わたし、何度やっても負けちゃいました……」がくり、うなだれてエリーゼが呟く。
「アルヴィンも、負けてたねー」被せるように、暢気なふうのティポが一言。
「……アルヴィンなんて、知りません」
「けど、ちょっと親近感ー?」
「そんなのないです!」

焦ったようにティポの言葉を否定して、エリーゼはぶんぶんと首を振る。ティポの言葉が自分の想いを語っているのだとわかっていても、それを拒絶したくなるときがある。だって、必ずしもそれが全てというわけではないではないか。思いつつ、エリーゼは必死に自分へ折り合いを付けようと試みる。

ティポの言葉はいつだってティポなりの表現に脚色されてしまっているのだし、エリーゼの話し方とは似ても似つかなかったから、彼の言葉を丸ごと飲み込んでしまう気にはなれない。ティポが本当に自分の意思で話していないかどうかなんて、誰も証明できないんだから。

「もうティポは黙ってる、です」

ばつ悪そうにエリーゼが言えば、「アルヴィンが行っちゃうよー」とだけ言って、それきりティポは口を噤んだ。それに反応して顔を上げれば、もう随分と遠のいた背中が映る。

――追いかけなくちゃ。弾けるように速度を上げて、ぱたぱた、ぱたぱたと、小さな歩幅でエリーゼは走り出す。ついて行けなかったなら、また何を言われるかわからない。半ば意地のような心持ちで、走れる限りにひたすら走る。――絶対見失ったりしません。自らの心にそう誓いつつ、エリーゼは人波をかいくぐる。

「エリーゼ、苦しいよー」

――そこからしばらく。夢中でティポを抱えて走っていたら、黙り込んでいたティポからふと抗議の声がした。我に返って「ごめんね」と告げれば、「無理しなくっていいのにー」と、続けざまに淡白な一文が投げ入れられる。

「……でも、約束は、約束、……です」
「……エリーゼ?」

そこでようやくアルヴィンの真後ろにたどり着いたエリーゼは、荒い息を整えながらぽつり、そう呟いて屈みこむ。突然近付いた声に驚いたのか、振り返ったアルヴィンは彼女の名前を呼んでから、戸惑うように立ち止まった。

「は、やっと、追いつき、ました……」
「アルヴィンが振り向かないから悪いんだぞー!」
「はは、そんなこと言って。振り返ったらどうせ怒るんだろ?」
「うう、図星ー」

途切れ途切れにしか紡ぎ出せない音を振り絞って、エリーゼは懸命にアルヴィンの瞳を見上げる。「遅れて、ないです。ちゃんと、わたし……」そうとだけ言ってはみるものの、自分を省みずに走ってしまったせいで、力が抜けてしまって立ち上がれない。

「おいおい、大丈夫か?」
「アルヴィン、に、心配、されたく……ない……です」
「そりゃ悪かったな。んで?やっぱり見失いそうになった?」

エリーゼの憎まれ口に大事が無いらしいことを見て取って、アルヴィンはさも可笑しそうにそう尋ねる。からかいの含まれた口調にほんの少しの優しさを交えて、問いかけるそれにエリーゼは気が付かないかもしれないけれど。

「む……」
「ま、そんな顔で睨むなって。せっかくの可愛らしさが台無しだぜ?」
「出たー、アルヴィンのナンパ男ー!アルヴィンきらーい!」
「あのな……俺のこれは挨拶代わりなの。いい加減慣れてくれてもいいんじゃない?」

軽薄な調子でアルヴィンが言えば、エリーゼはうずくまったままつん、と顔を背けて、「知りません!」と一蹴する。慣れきったやりとりに、覚えるこれは――それでも、気のせい。

振り返ってくれないことがちょっとだけ寂しいとか、こうして目の前に存在してくれることに安心してしまうとか。そんなの全部、気の迷い。エリーゼは言い聞かせるように小さくふるふると首を振って、「アルヴィンなんて嫌いです」と一言。

「はいはい、わかったよ」エリーゼの言葉を何でもないふうにあしらって、アルヴィンはちらりと周囲を見渡す。人足は未だ途切れずに、ざわめきが街を満たしてやむことは無い。

「……っと、それじゃ」

首元のスカーフを手早く整えて、アルヴィンは恭しい調子でエリーゼへと視線を合わせる。目の前に浮かぶ翠の瞳が少しだけ、揺れた気がした。

「……お手をどうぞ、お姫様?」

そう言って手を差し出すアルヴィンに、エリーゼはぱちくりと瞬きをひとつ。すべての音が費えてしまったようなその衝撃は、苛立ちとも、反発とも違う感覚をエリーゼにもたらす。

「手……取ると思うんですか?」
「取らなきゃ立てないだろ?うちのお姫様は」
「――っ!」

何かを言おうと口を開けば、言葉にならずに真っ赤になって、怒りとも、恥ずかしさともわからないくらいに頬が熱くなる。ああもう、アルヴィンなんて大きらい。思えば思うほど、ぐちゃぐちゃに乱されていく心が苦しくて、切なくて。こんなこと、何をどうしていいかがひとつもわからなくなってしまう。

「……し、仕方ないから、です。わたしがドジをしちゃったから……、それだけ、です!」

そうして精一杯の言い訳をすれば、ティポが口を開こうとする様子が視界に入る。慌てて押さえつけるように口を塞げば、余裕めいて笑うアルヴィンが、エリーゼの手を取り引き上げた。

「……はいはい。精一杯エスコートさせていただきますよ、エリーゼ姫」

手を引かれるようにアルヴィンのほんの少し後ろをぴたりと歩けば、言いようのない高鳴りにエリーゼはひどく戸惑った。――その感情に少女が気付いてしまうのは、まだもう少し先のお話。