決意の旅立ち

「ちっ、ひでぇな。帝都も下町も、力のない奴らは根こそぎやられちまってる」
 ユーリは悔しそうに呟いて、 妙に閑散としてしまった市街を歩く。隣を歩くフレンが黙り込んでいることに気が付いて、ぴりぴりと張り詰めた空気に内心だけで吐息した。
「……騎士様がんな顔して歩くなよ、フレン。こんなとこで怒ってたってどうしようもねぇだろ。……そのルークって奴は許せやしねぇが、だからって今すぐどうなるってもんでもねぇんだ」
「……ああ、分かってはいるんだ。だけど……」
 幼い頃から何かと面倒を見てくれていた近所の住人も、疎ましく思っていた帝都の役人さえも、見境なく命を奪われてしまった。今まで守りたいと願って来たその全てを、たった一瞬で、それも見知らぬ人間に葬られることの空白を、未だ現実のものとして埋められない。
「肝心の騎士団はどうなんだ。そっちもだいぶやられたって聞いてるが」
「……騎士団か。騎士団も随分な被害だ。僕自身部下を何人も失ったし、アスベルもしばらく出られそうにない。実質、当分の間は動けないだろうと思うよ」
 力のある者たちだけは何とかあの莫大な力の渦に耐え切ることが出来たけれど、それでも疲弊していることに違いはない。どうやらこの町の周囲一帯はより強くエターナルソードの力が及んでしまったらしく、他の国や地域に比べると、些か被害者が多いようだった。
「他の国の連中はどう出るって?」
「ヴァレンス家のご令嬢が部下を連れてルーク・フォン・ファブレの追跡にあたっているそうだよ。ヒューネガルドのリオン・マグナスも知己の剣士を連れて彼を追っていると聞いている」
「リオン・マグナス……あいつも動いてんのか。そりゃ、そのルークって野郎が捕まるのも時間の問題なんだろうが……」
 それでこのやり切れなさが収まってくれると言うのなら、 こうして未練がましく動向を問うたりはしないのだろう。たくさんのものを奪ったその手のひらが血に染まらず裁かれることを、それでもこの相棒は望むのだろうか。ユーリは思って、何とはなしに拳を握る。
 クロエ・ヴァレンスに捕らえられれば、彼女はおそらく国家に対して平和的な解決を迫るだろう。熱くなりがちなところもあるが、彼女も基本的には理性的な性格だ。傍らのフレンとどことなく通じているところがあるあの騎士は、 おそらく法によって全てを決することを望むに違いない。
 対してリオン・マグナスに見つかれば、その時点でルーク・フォン・ファブレは死をもって罰されるだろう。法に委ねることを厭いがちなユーリにしてみれば、どちらかと言うとリオンのやり方に共感する面が大きかった。過ちの芽を摘み取るという意味で言うのなら、更生させようとするよりも、命をもって償わせてしまった方がはるかに手軽でもあるし、何より遺された人間がいくらか安らぐ。唐突に大切な人間を奪われた者の気持ちを鑑みれば、ルーク・フォン・ファブレという人間は、粛清するに十分値するだろう。
「で、どうする?」
「え?」
「……俺達も行くか、って聞いてんだよ。お前、そんだけ頭に来て黙っちゃいられねぇだろうが」
 見透かしたようにユーリは言って、フレンに向けて視線を流す。
 日頃温厚なフレンだけに、一旦収まりが付かなくなると一人で飛び出して行きかねない。騎士団が組織として動けない以上、今後フレンが単身で敵陣へ乗り込んでいく可能性は高いだろう。
 ――今さら、些細な機微を察する程度は訳無いことだ。慎重な割に案外周りが見えなくなりやすいと言うか。ともかくそれだから、どうにも目が離せない。
「……いいのかい? こんな状態で下町の人達を置いて行くのは君だって心苦しいだろうに」
「そりゃ、気にならねぇこともないけどな。ま、あいつらは俺が居なくたってそれなりに上手くやるだろ」
「……ユーリ」
「上に締め付けられて育ったからな。とにかく根性だけは座ってる連中だ。今さら何があったところで、少し落ち込みゃすぐ前向いて歩くさ」
 そうだろ、フレン。同意を求めるようにユーリが問えば、フレンもやがて納得したように「……ああ、そうだね」と一言返す。それよりも今はただ、お互いが折り合いを付けることこそ先決だ。力を持ってしまったからこそ、傷ついた者の痛みを背負ってしまうからこそ、ただこの町に留まっていることは出来そうに無い。ともかく原因になった人間を問い詰めて、その罪を後悔するほど思わせて、どうするのかはそれから決める。
 たとえばその瞬間にフレンが思い止まるのなら、自身もまた踏み止まるのだろうとユーリは思う。いつだって肝心なところの決定権はフレンに委ねてしまう自分が居る。別に思考を放棄しているだとか、そういうつもりは微塵も無いが、どういうわけかそれは幼い頃から「そういうもの」だったのだ。
 互いの主張が二つあった時、必ず一つを選ばなければならないのなら、大方フレンの意見で場がまとまる。中には譲れない事柄ももちろんあるが、基本的にはそれに疑問を抱くこともあまり無い。
「……君は無理に付いて来なくても構わないんだよ、ユーリ」
「おいおい、散々やって今更それか? まさか迷惑掛けるわけにはいかない、なんて野暮なこと言うんじゃねぇだろうな」
「……今は世界中の人間がルーク・フォン・ファブレを追っている。こんな状況では、治安も決して良いとは言えないはずだ。道中、無用な争いも避けられないかもしれない」
「んなこと、覚悟の上だ。ま、オレも一応ルークって奴の顔くらいは拝んでおきたいしな」
「……そうか。なら、君にも一緒に来てもらうことにするよ。宜しく頼む、ユーリ」
「あーやめやめ、堅っ苦しいのは嫌いなんだ。……別に騎士団の一員として行くわけじゃねぇんだ。こういう時くらい、鬱陶しいのはナシにしてくれよ」
 お前の律儀にはもう飽きた。そう息を吐いてユーリが横目にフレンを見やれば、日頃理性的なその瞳が、否定しようの無いほど復讐心に染まっているのが分かる。
 ――騎士団でなく一個人として全てを奪った人間に手を下すと言うのなら、それはそれで構わないだろう。けれど叶うなら、どうかこのお人好しで真面目な相棒が、自分と同じ方法を取らなければ良いと願う。どうせ自分にこの堅物の、頑ななまでの意思を否定する力は無いのだ。それならばせめて道中、これまで培ってきた全てを懸けて、平静を取り戻させる方法を探るしか術は無いのだろう。
「……んじゃ、行くとしますか」
 呟いたユーリにフレンは「ああ」とだけ答えて、二人は変わり果てた下町を去る。変わり映えのしない空の青色が、日常めいてひどく痛みを思わせた。