Only feel

認識した時点で時すでに遅し、というのはよくある話だ。いやに響く鈍痛がして、どことなく身体がだるい。ユーリは心の中で吐息して、今日一日の身の振り方を考える。

魔物を追い払う程度であれば差し障りがあるわけではないが、依頼者の元へ急ぐ身の上、それほど悠長なことも言ってはいられないのだろう。何しろ今回はフレンを連れている。依頼者が騎士団の人間にも会いたいなどとごねたお陰で、随分大掛かりな仕事になってしまったのだ、今度ばかりは。

「……ま、どこぞのお偉いさんってんなら仕方ねぇけどな」

聞けば、依頼主はいつぞやに隆盛した財閥の跡取り息子ということらしい。下世話な話かもしれないが、凛々の明星にとっては少しでも多く各方面と繋がりを作っておくに越したことはない。新生ギルドにとって有力者との関係性は何よりの後ろ盾になるのだし、その方が、明確な手応えの元に活動することも出来るだろう。

「もう、ユーリ!聞いてる?」

そんなことを考えていると、痺れを切らして頬を膨らませたカロルがユーリに一喝をくれる。

「おー、悪い悪い、全然聞いてなかった。で、何だって?」
「やっぱりまた適当に聞き流してる。イエガーの持ってた屋敷を調査したいから護衛を頼むってさ。しっかりしてよね!」

言ったっきり慌ただしく取次ぎ人の下へ走り去るカロルを見送って、ユーリは苦笑した。ああして何事も急くからすぐにやらかすってのに。とは言えそれこそがカロルなのだから、仕方がないといえばそれまでではあるのだが。

「しっかし、そりゃまた辺鄙な場所を指定してきやがったもんだ。金目のもんでもあんのかね」

言ってから、「無いわけがねぇか」と自己完結させて、ユーリは小さく息づいた。とことん利を追求したイエガーのことだ。資産は一般庶民が想像する額面をはるかに超えているに違いない。

孤児院に寄付したあれが未だに何から来る類のものだったのかユーリには読み解けずにいたけれど、少なくとも、それを叶えるだけの金はあった。善意にせよ、罪悪感から来る償いだったにせよ、行動する為の元手が無ければ何物にもなりはしない。

「に、しても……」

少しばかり調子悪さに拍車が掛かっている気がしなくもない。繕うのが得意なだけあって、おそらく周囲に気付かれてはいないだろうが、これでは多かれ少なかれ、集中力を乱される。思って、ユーリはふとした疑問に至る。

「そういや、フレンの奴はどこ行ったんだ?」
「あら、彼なら依頼主と話し込んでいたようだけど?」

口を付いて出た疑問に答えが返ったことに驚いて、ユーリは咄嗟に声の方を振り返る。いつもと変わらぬ一見穏やかな笑みを浮かべて、ジュディスは面白そうに手を振った。

「ごきげんよう」
「こりゃ驚いた、ジュディか」
「この分だと出発にはもう少し掛かりそうね」
「……みたいだな」

港から海を見つめるジュディスは、つかの間のあと、退屈そうに伸びをするラピードを呼び寄せる。擦り寄って行った彼に「少し遊びましょうか」と声を掛けてから、ジュディスは申し訳程度に「ラピード、借りるわね」と断りを入れてその場を去った。

「ったく、どいつもこいつも自由すぎんだろ……」

呆れたように呟いて、ユーリは一人きりになったノールを見回す。星喰みを倒してからというもの、この町にも魔導器無効化の余波が及んでいた。船を使った交易が商業の中心であることもあって、代替燃料の開発に随分手間取ったらしい。

結局トリム側と協力することで元の体制を取り戻すことには成功したようだが、混乱も未だに大きく残る。とは言え先日リタが何やら口添えしていたようだから、いずれはもう少し改善されていくことだろう。

「あいつはエステルと一緒に帝都か」

最近のリタはハルルから城へ通うエステルと行動を共にしている。どうやら城の人間に協力を要請されているらしく、エステルの手前、断れもせずに手を貸しているらしい。仕事さえ終わればハルルでエステルと過ごす時間が出来ることもあって、おいそれと否を突きつけることも出来ないのだろう。

一度離れると、再会するのに数ヶ月を要することもざらにある。その実態はユーリにもよく分かっていたし、せっかくの機会ならばと思う気持ちだって分からないわけではない。

実際、ユーリとしても今回のように、正当な理由を盾に傍に居られることを悪い話ではないと思ってしまう。お互い抱えるものの多い身だけあって、こんな機会でもなければいつ会えるかも定かではないのだ。

まさか「会いたかった」だなんてユーリ自身から口にするはずもないが、心情としては会えないことで降り積もるものが無いわけではない。あれだけ行く先々でお人好しを発揮されれば、いくらユーリとは言え不安のひとつも抱かざるを得ない。

「……つっても、な」

嫉妬心に駆られるたび、何がしかの情けなさに苛まれるのを勘弁してもらいたい。まるで他人事のように思いながら、ユーリは自身の感情を頼りなく咎める。フレンのことは信用しすぎるほどに信用している。それ自体には絶対的な自信があるものの、だからと言って余計な感情が消えてくれるわけでもない。

柄にもなく拗ねてみたくなるような光景が目の前で繰り広げられることもあれば、あまりの構われなさに面食らうこともある。いつだって私事を後回しにするフレンではあるけれど、その徹底ぶりは時折、底抜けの憂うつさをユーリにもたらして止まない。

「ったく……」
「溜め息なんかついて、どうかしたのかい?」
「ん?」

盛大に吐息した次の瞬間、ユーリにそう問いかけたのは、まさしく渦中のフレンだった。相変わらずの人の良い笑みに少しの苦笑を交えて、そのままユーリとの距離を詰める。

「話は付いたのか?」
「まあね。納得してもらうのに随分時間がかかったけど」
「金持ちのボンボンにゃ言っても分かんねーんだよ、そういう道理だなんだってのは」

自分の所有権はことさら主張するくせに、「他人のものは俺のもの」と考える人間のなんと多いことか。

「思い出の品、とかな。一番通用しねぇタイプだろ。価値でしか物を見やがらねぇ」

皮肉っぽくそう言って、ユーリはフレンの様子を窺う。取り立てて反論して来ないところを見ると、どうやらあまり異は無いらしい。

「あいつら――ゴーシュやドロワットが持つべきもんだって相当あるはずだろ。勝手に引き渡せるような代物じゃねぇってのに……」
「うん、そうだね。彼らに遺すべきものは随分あるはずなんだ。屋敷を放棄させる前にどうにかしないと……」

その言葉にユーリが少し複雑そうな表情でフレンを見やれば、フレンは頷きだけを静かに返した。

少女二人があの大きな城を維持していくことは、とてもではないが無理が過ぎるというところだろう。おまけに根っからの従順さを抱えているのでは、放っておけばいずれ良いように利用されてしまいかねない。

富を持つことのみが必ずしも幸せではない、ということだ。それはおそらく、彼女たちも理解しているところだろう。

「大体、無人だからってずかずか他人の土地に入っていく奴があるかよ、普通」
「まあ、あそこは元々管理が曖昧になっていたみたいだからね。そこに目を付けたんじゃないのかな」
「そりゃご苦労なこった。ったく、抜け目ねぇのな」

ユーリが無粋にそう一言放れば、フレンは黙ってそれを聞いていた。どれほど世界が流れても、誰かの不幸を食い物にする人間は後を絶たない。表面ばかりをさらったっきり、それ以外の不都合は己に関係が無いと言い張る人間はそれこそ、世にあぶれるほど存在する。

「……で、結局どうすんだ。行くのか?」
「ん?ああ、うん。今日のところは実地調査って名目でね」
「そっか」

それだけ言って言葉を切ったユーリを横目に、フレンは少しの違和感を覚える。冷静に見えて案外と頭に血が昇りやすいユーリだけれど、今日は噛み付き方が随分と浅い。ひねくれた恨み言の一つや二つ、今回の案件ならとっくに飛び出していてもおかしくはない頃なのに。

「……ユーリ?」
「ん?何だよ?」

ふいの呼びかけに、いかにも疑問げにユーリは振り向く。

すう、と伸ばされた手に、咄嗟には反応出来ず、驚いてしばしの硬直。

「な……」
「やっぱりね。体調、悪いんだろう?」

触れた手のひらに伝わる熱を確かめて、フレンは合点がいったというふうに深々と吐息した。無理をするのだ、ユーリはいつだって。気付かれていないと思えばそれを貫き通そうとするし、なまじそれを完璧にこなしてしまえるのだから困りもの。余程でなければ何事をも隠し切ってしまうその精神力は、悪く取るなら強情ともまた言える。

「……何だってバレてんだよ。オレ、何かしたか?」
「いつもより喰い付き悪かったからね。普段の君ならもう少し怒るだろうと思ってた」
「……そりゃどんな理由だ」

はあ、とわざとらしく音にして、ユーリはぼんやりとわだかまる熱に身を委ねる。一度緊張の糸を断ち切られてしまうとどうしようもない。黙っておこうと思うのに、一旦理解されているのだと分かれば、それはそれで妙に安心してしまう。

「いつから?」
「あー……自分で気付いたのはこの町に入ってからか?あんまりふらつくんで何事かと思ったけどな」
「付いてくるな……とは言わないけど、あまり無理しては駄目だよ」
「へいへい。せいぜい足手まといにならないよう気をつけるさ」

そうして二人並んで沈黙を迎えると、どうしてだか少し物寂しい心地がした。ことん、と、ユーリがフレンの肩にもたれかかる。

「珍しいね、君が甘えて来るなんて」
「……こちとら重病人だ、放っとけ」

カロルの言葉を無視した挙句、お怒りを頂戴するという失態を演じるほどには調子が悪い。ユーリがそんなようなことを話してみれば、フレンは少し笑って「たしかにそれは一大事かもね」と答えて見せた。

「……出発までもう少し時間があるから、出来る限り休んで行くといいよ」

寄り掛かられたまま動こうとはせず、子どもをあやすかのような優しい手つきでフレンはニ、三度ユーリの頭を撫でてやる。先ほどジュディスが去っていったっきり人気の無いノールには、未だ誰かが戻ってくる様子は感じられない。

「……だるい」
「大丈夫かい?」
「大丈夫じゃない」
「……本当、いつもそのくらい素直だったら良いんだけどね」
「……誰のせいだよ」

あのまま放っておいてくれさえすれば、気を張って一日持たせることもさして苦ではなかったのに。思いながら、ユーリは触れられている安心感に目を閉じる。

孤独感が煽られているときに与えられるぬくもりは、それだけで凶器にも成り得る。自然にこういうことをやってのけてしまうから、まったくフレンという人物は侮れない。――逆らえない。結局。

「ったく、……お前は反則だろ、いろいろと……」

諦め混じりに言ったユーリへ、フレンは苦笑だけをそっと返した。少し気だるげなユーリの横顔を見やれば、ほんのりと紅の差した頬にもうひとつ、押し隠した感情が見え隠れする。

「……それは君も同じかもね、ユーリ」

そんな言葉を返されて、ユーリは深く、深く息をつく。ああ、どこまでも敵わない。ひたすらそんなことばかりを思わされて、なおも力なく瞳を閉じる。

――結局、穏やかに高揚していく矛盾を感じながら、ユーリはつかの間の幸福感に身を委ねた。