追憶のオルゴール

「……なあ、ゼロス」
 ふと思いついたことがあったものだから、ロイドは伏せていた顔を上げて、傍らに掛けるゼロスを見やった。手元の木彫りの小箱は既に完成間近と言った様子で――やはりと言うべきなのだろうか、その出来映えは洗練されて美しい。
「ん? どしたよ、ロイドくん」
 呼びかけられたゼロスは窓の外からロイドへと視線を移して、不意の指名に少しの驚きを見せる。ロイドは一度集中すると随分長い間没頭してしまう性質だ。それだから、まだ当分は静寂が続くだろうと思っていたのに。
「世界樹の神子ってさ、世界に一人しか居ないんだろ? それって実はすげー大変なことなんじゃないか?」
 いやに神妙な様子でそう語るロイドに、ゼロスは呆気に取られて言葉を失くす。
「おいおい、何だってんだ〜? いきなり。何がどうなったら突然そんな言葉が飛び出してくるわけ」
「いや、だってさ、世界樹が苦しんでても、その声が聞こえるのはゼロスだけなわけだろ。……なら世界樹がゼロスに苦しみを押し付けちまったら、お前は誰に苦しいって愚痴ったり、頼ったりできるんだよ」
「へ……?」
「世界樹には苦しみを受け止めてくれるゼロスっていう神子がいるからまだいいけどさ。肝心のお前は誰にもそれを話せないっていうなら、お前ばっかり辛い思いしてんだろ。それって何か不公平じゃないか?」
 世界樹が苦しんでいるから自分も苦しいだなんて、一見それらしい文句は、この世界の誰に対しても伝わらない類の感傷だ。神子を除いた世界中の全ての人間にとって、世界樹というものはマナを生み出すための、物言わぬ聖なる樹木でしかない。それゆえに、世界樹の苦しみを一手に引き受けるのはいつだって、世界樹の神子であるゼロスただひとりなのだ。
 尊い存在だと持ち上げられて生きる神子が、まさか世界樹を貶めるような発言を許されるはずもない。どれほど世界の悪循環が世界樹を苦しめ、挙げ句ゼロスに痛みを伴わせようと、世界はそれに対して何の責任を取ることもしはしない。世界は自身に都合の悪い事柄を全て撥ねつけて、尊さの仮面を被らせた「神子」という弱者に、自らの堕落を投げ入れているだけではないか。
「……ほーんと、変なとこ鋭いのな」
「ん?」
「ロイドくんの言うとおりだよ。神子なんて、聞こえはいいけど所詮は体の良い道具でしかねぇんだ。遺伝子情報まで管理されて生み出される神子ってのは、要は世界がラクして生きるための犠牲者ってこったな」
 神子は神聖な存在なのだとでも謳っておけば、一般の人間はおいそれとそれを信用し、やがて近付くことすら躊躇うようになる。そうして他者から隔絶させた神子を、人間の邪悪を吸い上げる世界樹の緩衝材として利用することで、常に滅びへと傾いていく世界をどうにかこうにか保たせる。
 そうした俗に言う「損な役回り」というヤツを、強制的に押し付けられるのが「世界樹の神子」という存在なのだ。生まれた時から神子の烙印を押され、逃れたいと思えば世界樹か自分、どちらかの死を選ぶより他に方法は無い。
 世界樹の死を手助けすることは、それすなわち世界を手ずから終わらせることと同義だ。ゼロス自身としては過去、幾度と無くその道を選ぼうと思いもしたが、大切なものの意味を知ってしまった今となってはもう、それも到底叶わぬ道だろう。
「そっか。んー、じゃあさ、それ、試しに俺に話してみてくれよ」
「……は?」
「たしかに俺には世界樹の声は聞こえないけどさ、世界樹も精霊なんだろ? 俺たちと同じように精霊にも意思があるなら、樹だろうがなんだろうが人間と同じだ。それなら、ゼロスが不満に思ってること全部、人間に向けるのと同じように話してくれれば、俺が聞いてやれるんじゃないかなと思ってさ」
 どうだ、なかなか名案だろ。自信ありげにそう言ってから、ロイドはにかりと笑ってみせる。
 ――ああ、本当に、なんと短絡的でお気楽な発想なんだか。ゼロスは思いつつ、それでも心動かされる自分に気付く。
「……マジかよ」
 ――こんなどうしようもない解決策に、それでも心癒されるというのか、俺さまは。情けなさにうなだれて、ゼロスは小さく息を吐いた。ロイドの目も憚らずに殊更がっくりとした様子を強調すれば、目に見えて心外そうなロイドが映る。
「マジかよって何だよ。言っとくけど、俺はふざけてるつもりはねぇからな!」
「あー、いや、ロイドくんが真剣になってくれてるのは分かるんだけど。……ま、いいや。とりあえずサンキューな。ありがたく受け取っとくぜ」
 そもそも今までこうして、「神子とて世界樹への不満を持っている」という大前提を敷いた人間をゼロスは知らなかった。大概の人間は神子に対して清廉潔白であることを強いたし、ゼロス自身、それを仕方の無いことだと思っていた。
 運命だからと諦めることが愚かであると分かっていても、抗えない以上は仕方が無いではないか。
 ――そんな消極的な姿勢をことごとく打ち壊しにくるこの少年の恐ろしさたるや、並大抵のものでは済まされない。本当に。
「……そんだけ何でもかんでも許されちゃうと、かえってやり辛いことだってあるもんよ」
「ん? なんか言ったか?」
「べっつにー? いーからほら、ちゃっちゃとそれ完成させて先行こうぜ。俺さまもう待ちくたびれちゃった〜」
 いかにも退屈そうに伸びをしてから、ゼロスは完成間近の小箱を見やる。
「まあそう言うなって。せっかくだからこれ、開いてみろよ。中身はもう出来てるからさ」
「ん……?」
 ほら、と小箱を渡されて、促されるようにしてゼロスはそれを開いてみせる。
「この曲……?」
「いい曲だろ。いつだったかな。昔、母さんがよく歌ってくれてた曲がそれなんだけど……ゼロス、もしかして知ってるのか?」
 今は亡くなってしまった母の、子守唄のような思い出の曲。おそらく世間一般的に見ても、この曲はそれほど有名なものではなかったはずだ。譜面を探し当てるのに、ひどく苦労した記憶があるから。
「あー……聴いたことあるような、ないような……」
「ホントかよ。へー、偶然ってあるもんなんだな」
 感心したように言って、ロイドは嬉しそうにただただ笑う。ゼロスがこの曲知ってるなんて、まさか思わなかったからさ。そう言って窓の外を見やってから、掛けていた椅子から立ち上がる。穏やかに晴れ渡る青が眩しい、今日は絶好の旅日和だ。
「やべっ、部屋に忘れ物して来ちまった。ゼロス、そこでちょっと待っててくれ」
「はいはい。ったく、慌しいねぇ、相変わらず」
 ま、それもロイドくんらしいっちゃらしいか。ふわりと笑みつつロイドの背を見送って、ゼロスは再びロイドの作った小箱を見やる。
 ――きらきらとメロディを刻むオルゴールが、昼下がりの宿に鳴り渡る。どこか透明色を思わせるその音色は、割合手狭なこの一室で、ひどく心地よく響いていた。