変わらないもの

青々とした空が時々とても褪めたふうに見えるのは、自分の弱さゆえなのだろうか。思いながら、コレットは照りつける太陽を垣間見る。

人は痛みから逃れたいと願うとき、あふれた世界を色彩ごと閉ざしてしまうのです、と。どこかで聞いたその言葉は何故だか真実味があって、揺れがちな心の底にずしりと響いた。

「このあたりでいいかな?」

野営地になりそうな小高い丘を指しながら、コレットはゆるりとロイドを振り返る。出来うる限りに明るい声音で同意を求めたコレットに、小さく笑みを作ったロイドは「うん、そうだな」と一言肯定を返した。一見してひどく穏やかな風景。けれど、その笑みはやっぱり堅苦しくて不安定なまま。

――昨日からずっとこの調子だ。気付かれないように、コレットは背を向けたままで影を落とす。ロイドが無理をして微笑むたびに、残るのは悲しみにも似た些細な痛み。

コレットが心から笑わなくなってしまったロイドを見るのは、今回のこれが初めてというわけではなかった。再生の旅をしていた頃にも一度だけ、彼女は似たようなロイドを見たことがあったから。

あのとき目にしたロイドは苦しみでいっぱいの顔をして、今と同じようにひどく思いつめたふうをしていた。――コレットが安易な自己犠牲で世界を救おうとした、あの瞬間の千切れそうな痛みと同じ。

為す術も無いまま失うことを見過ごさなければならないロイドの悲しみを、あの頃のコレットはまだ知らなくて。救おうとしながら傷つけてしまったことを少しだけ、コレットは今も負い目に思っている。

ただ傍にいることしか、傷つくロイドを見ていることしか出来ないなんて。

――救われてばかりなんだ。いつだって、本当に。

「ロイド……」
「ん、どうした?コレット」
「あ……ううん。なんでもないの。ごめんね」

何気なくどこか冷めたふうの笑顔を見つめて、それが取り繕っているだけなのだと分かってもいる。別れてからのロイドは時々、痛みを隠すために何でもないふりをして笑う。けれど些細な瞬間に、ふと泣きそうな表情を見せることをコレットはずっと知っていた。

半年前に姿を消してしまってからのロイドは、パルマコスタでの一件についてひたすらに口を閉ざしていた。ロイドがいったいどれほどの思いでその孤独を抱えてきたのかについては、ほんの少しだけコレットには分かるような気がしている。

誰にも言わずに使命を抱えてしまうのは、誰を信頼していないからでもなく、ただただそれが大切な人のためになると信じているからだ。自分ひとりが抱えれば、ほかの誰かが余計に苦しむこともない。知らせる間もなく終わらせてしまえたら、自分の大切な人が誰ひとり傷つかなくて済む。

――きっと、そう考えるから。

「謝らなくていいって。いつも言ってるだろ?」
「うん。……ほんとにごめんね、ロイド……」
「コレット……?」

いつものやり取りに少しの違和感を抱いて、ロイドはどこか不安そうにコレットを見やった。おそらく自分が原因であるとは思っていないのだろう。ゆるやかに力なく笑うコレットのその表情は、いつだって、ロイドにひどく不安感を煽らせる。

笑っていてほしいと誰より願うその人が笑顔を失うことへの無力感は、あの頃嫌というほど思い知らされている。今回のことで、自分の選んだ道がコレットにひどく苦痛を強いてしまったことも、ロイドはロイドなりに理解しているつもりだったけれど。

――それでも笑っていてほしいと願う自分は、やっぱり我儘なのかもしれない。ロイドは思う。まるで太陽の代わりのように自分の半分を担っているコレットが、どうか悲しい顔をしないで済むように。いつだってそればかりを願っているし、そのためになら、たとえどれだけ自分が傷ついても構わないとさえ思える。――けれどそれ自体がコレットを悲しませる一因になるのだとも知っているから、最善の方法を探すことがまた、いつだってとても難しい。

「……ねぇ、ロイド?」

ロイドがそう思考するうち、コレットは思い直したように彼の名を呼んだ。――凛として、青の瞳が痛みに揺れる。

「……いま、苦しい?」
「え……?」

突然の問い掛けに動揺したのか、ロイドは疑問符にも満たない声を小さく漏らす。

ロイドが答えを出せるまで、そっと隣で耐えていよう。そう思っていたけれど、あまりにも。そんなことを考えながら、矢継ぎ早にコレットは続けた。

「昨日からずっとヘンだよ。あの子に言われたこと……まだ、気になる?」

問いかけることがかえって痛みになるかもしれないと分かっていても、尋ねなければどうにも不安で仕方が無かった。痛みにあふれたロイドのその表情が、あまりにも悲しさに満ちて危うげだったから。そのうち繕うことさえ難しくなってしまいそうなほど――ひどく、危うげだったから。

「昨日のことって……」
「……うん。昨日の、あの子のこと」

――パルマコスタの。俯いてみせるロイドへ、思い返すようにコレットは言った。

昨日の晩、野営地に小さな暗殺者がやって来た。パルマコスタの出身だというその少年は、憎しみでいっぱいの顔をして、迷いもせずにロイドに向かって刃を向けた。

お前が僕のお母さんを殺した。――許さない。お前なんか絶対に許さない。そう言って頼りなげなナイフを突きつけてきたあの小さな子どものことを、ロイドは躊躇いもせずに抱きしめたのだ。

そのまま「ごめん」と一言、謝罪するロイドの行動に戸惑ったのか、少年はすぐに飛びのいて離れてしまったけれど。――それを振り払う手があまりにも震えすぎてたんだ、と。ひどく悲しそうに語ったそのときからずっと、ロイドは笑みを無くしたまま、上の空なふうで戻らない。

とても憎々しそうに背を向けたその子どもは、去り際にたった一言こう残した。「いつかぜったい殺してやるからな」と。――泣き出しそうな瞳のままで、ひとりきりが待っているあの街の向こうへ。

「……そりゃまあ、さ。……気にしないようにって思いはするけど、なかなかそうもいかないよな」

青空を仰いで、包み隠さずロイドは呟く。青ざめているような、鮮烈な空の色がひどく眩しい。

「ロイドは、優しいね。優しすぎるくらい、優しいよ……」
「コレット……」
「ねぇ、ロイド。フラノールで話したときのこと、……覚えてる?」
「優しい人は心が傷つきやすい、って……あれのことか?」
「うん。……あのね、やっぱりロイドは、きっとそんなに強くなんてないんだと思う。……私から見たロイドはとても強いけど、それは……ロイドがそう見せる方法を知ってるから、だよね」

少しだけ昔はまだ、ロイドはとても強い人間なのだと思っていた。どんな困難にも負けずに立ち向かい、いくつもの逆境を跳ね除け他者を思いやる。それが当たり前に出来るロイドを尊いと思ったし、ほんの少し、羨ましいとも思った。

けれど旅を続けるうちに、必ずしもそれが全てではないのだと知った。ロイドはロイドなりの痛みを抱えて、それを隠しながら生きている。苦しくても苦しいと言えないほどに優しいから、気付いてあげられない自分が時々、とても疎ましくなる。

「あんまり自分で意識したことはないけど、コレットがそう言うならそうなのかもな。……いや、きっとそうなんだと思う。やっぱさ、強がらないと駄目になりそうな時ってあるんだ。……そういう時の俺は、誰から見ても弱いんだと思うよ」

戸惑ったように曖昧に笑って、ロイドはゆるりと瞳を伏せる。コレットの笑顔を失ったとき、気丈に振舞おうとしたことも。クラトスと戦わねばならないと知ってなお、大丈夫だと笑ったことも。渦巻く不安感を増長させまいと強がって、ほんの少しでも自分自身を安心させたかったからだ。心の底から何とかなると信じられるほど自分に自信があるわけではないし、何より自分を正義だと言い張ってしまうには、正義という言葉が大嫌いに過ぎた。

「あの子、言ってたね。ロイドはパルマコスタを救ってくれたのにって。……お母さんがそう言ってたのに、って」
「……うん、そう言ってたな」

どうせ滅ぼすんだったら、最初から救ったりしなければ良かったんだ。そう言って、彼は泣きながら震えていた。悲しみに暮れていたのか、憎しみに耐え切れなくなったのか――それさえ分からないほどに強く、強くナイフを握って。

「それってね、……悲しいふうに聞こえるけど、私はとてもすごいことだって思うよ」
「え?」

突然のコレットの言葉に、驚いたようにロイドは問い返す。小さく微笑んで、コレットは言った。

「裏切られたと思うことって、その人を信じていなければできないんだよ。……だからね、ロイドはパルマコスタの人たちにすごく信頼されていたんだって思う。……きっと、最初からロイドのことを嫌いだったわけじゃない」

憎しみを一身に背負う苦しみは分かる。自分以外のすべての人が敵で、自分がひとりきりのように思えることもある。必要とされていないと思えたり、誰も自分のことを好きになんかなるはずがないと、そう思えることだってある。――だけど。

「……私ね、ロイドにまだ言ってなかったことがあるの」
「言ってなかったこと?」

パルマコスタで出会ったあの子のことを。ロイドを嫌ったあの子の言葉を。――まだ伝えていないのだ、なにひとつ。

「エミルたちと出会った頃にね、ショコラに会ったんだ。……あの町で」
「ショコラに?」

それは、すべての旅のきっかけになったあの人の孫娘。ロイドゆえに救えず、ロイドゆえに救い出すことの出来た少女。その面影を思い浮かべて、ロイドはほっと息を吐く。

「……そっか、ショコラは無事だったのか……」
「うん。お母さんも、ちゃんと無事だったよ。……それでね、会ってすぐに言われたんだ。ロイドを知らないこの町の人はみんな、血の粛清の犯人はホントにロイドだって思ってる。……でも、私から言わせればそんなのはデタラメ。本物のロイドを知っていればそんな噂、……お話にもならないわ、って」

――とても真っ直ぐな瞳で。

「な……」
「私ね、……うれしかった。あんなことになっても、ロイドのことを信じてくれる人がいるんだって、すごくうれしかった」
「コレット……」
「だからね、だいじょぶ。ロイドはあの町のぜんぶから恨まれてるわけじゃないよ。……堂々とすることはできないのかもしれない。でも、ロイドがなんにもしてないのはホントのことだもん。……それを忘れないでいてほしいって思うの」

何でも自分のせいにして傷つく苦しさが分かるから、抱えなくていいことまで抱えてしまう優しさをいつも隣で見ているから、だからこそ、もっと我儘になったって構わないのにと思う。

弱いところだらけの私に、ロイドを守ってあげられるほどの力があるかどうかは分からない。けれど支えになってあげられたらと、誰より願っているのは本当だから。

「……つらいときは、私にもおしえて?ロイドが無実だってみんながわかってくれるまで、私もいっしょに歩き続けるよ。あの、頼りになるかはわかんないけど……でも、ロイドといっしょにずっといるから。どんなことがあっても、私はロイドの味方だから」

どうか、ひとりですべてを背負ってしまわないように。どんなに願っても祈っても、やっぱりひとりで戦い続けようとするのかもしれない。それでもほんの少し、ほんの欠片だけでも、ロイドの支えになれたなら。隣を歩いていけたなら、それだけでも。

「……ありがとう、コレット。ごめんな。俺、コレットに心配かけてばっかりだ」
「ううん、そんなのいいの。世界再生の旅のときは私がいっぱい迷惑かけたんだもん。……このくらい、どってことないよ?」
「そっか。……うん、そうだったな。……ありがとう」
「ねぇ、ロイド。ひとつだけ、わがままいってもいいかな?」
「うん、どうした?」
「……私ね、ロイドには笑っていてほしいって思う。前みたいに、笑ってほしいよ。なんにも解決してないのに笑うのは、すごくつらいことかもしれない。……でも、悲しそうなロイドを見てるのは、もっとつらいよ……」

泣いてしまいそうな衝動をなんとかこらえて、コレットはゆったり言葉を紡ぐ。ようやくすべてを言い終えたころ、ぐい、と優しく引き寄せられて、コレットは強く、強く抱きしめられた。

「ロイド……?」
「わかった、約束する。笑いたい時に笑って、怒りたい時はちゃんと怒るよ。でも、泣くのはコレットの前でだけにする。……それでも、いいかな」

ふわり。そうして自然に浮かぶそれは、何時ぶりか定かではないほど、見慣れた愛しいあの笑顔だった。少し照れたふうなその表情が何故だかとても懐かしくて、優しくて、あたたかくて。

――こらえたばかりだったのに、涙があふれて止まらない。

「ロイド……。うん、……うん!よかっ、たぁ……」
「おいおい、なにも泣かなくったって……」
「あ、だ、だって、なんか安心、しちゃって……」
「……本当、昔から泣き虫だもんな。……コレットは」

転んでも絶対に泣かないのに、いつだって、コレットは誰かのためにばかり涙を流す。そう、本質は今も何ひとつ変わらない。どれほど世界を取り巻く環境が変わっても、自分たちのありようひとつで、心は同じままに在ることが出来る。

単純なことを見失うたび、人はとても変わってしまったように感じるものなのかもしれない。ロイドは思う。いつの間にかひとりで戦わねばならないと、守らなければならないと、独りよがりに固執してしまっていたように。

「よーし!そんじゃ、これからもよろしくな。……コレット」
「……うん。私こそよろしくね、ロイド!」