アルメリアの憂鬱

「分からなくもねーな」

ゼロスはそう呟いて、内心でこの日何度目かの嘆息をした。小さな想いの積み重ねがどうしようもなく膨れ上がって、いつしか相手が自分よりも大切なものに成り代わってしまう。――その気持ちを理解出来ないことにしておきたいと思いながら、結局痛いほどに理解出来てしまう自分自身に失笑する。

一体いつどこで掛け違ってしまったものなのか、思い返す行為すらすでに白々しい。それでもあえて言うのなら、近付いたこと自体が失敗だったのだ。出会った段階で深入りし過ぎて、一切手を切れなくなっている。

――後悔しているわけではないのが性質の悪いところなんだろう、この場合。揺れ揺れる雲を仰ぎ見て、ゼロスは行き詰まった状況を打開もせずに、ただぼんやりと空白をたゆたう。

繋がりを持ったことを後悔することすら出来ないのなら、その先はもうどうしようもない。現実はきっちりと仲間を裏切っていながら、どこか非情になりきれない自分をもう十分すぎるほどに自覚している。矛盾に満ちた毎日を抱えてまで離れることをしないのは、自分自身がそれを望んでいるからなのだと、今更認めたくなくても認めざるを得ない。

――予定は未定、ってか。とんだ冗談だ。

「……急に何の話?順序考えて話してよね、アホ神子さん」
「あ?」
「だから、先から何ぶつぶつ独り言言ってんのさ。気持ち悪いよ?」
「……ったく、うるせーの。せっかく人様が高尚な考え事に浸ってんだからちょっとはおとなしく放っとけっつの。これだからガキは好きじゃねーんだ」

先刻の出来事のせいか、必要以上に棘の含まれたふうにジーニアスがゼロスへ横槍を入れる。それに思考を中断させられて、ゼロスはわざとらしく溜め息をついた。

「……別に何でもねーよ」

続けざまにそう返して、ゼロスは不服そうなジーニアスを視界から排除しようと試みた。気が立っているのはこちらも同じなのだ。そう思えば、無理に言い争うことも無い。そんなことを思いながら、ゼロスは黙り込んで再度思考の波に乗り直す。

――事があったのはつい先ほどの話だ。クルシスの刺客に不意打ちを食らい、珍しく他に気を取られていたらしいロイドが深手を負わされた。それにゼロスが報復しようと声を荒げかけた次の瞬間、真っ先に彼らに向かって行ったのは、まさかと言うべきなのかゼロスではなかった。無論その場に居合わせていなかったリフィルでも、ジーニアスでもなく、こともあろうに。

「コレットちゃんがねぇ……」

ゼロスが激昂する彼女を見たのはあれが初めてではないが、いざ目にすると、やはり普段とのギャップに驚かされる。無機質な抜け殻ではない、真っ当な感情を有した瞳に殺意を宿すコレットなどと、およそ日頃の印象とは対極に位置するところだ。

「え、何?また何か言った?」
「だーかーらー、なんも言ってねぇっての。お前ロイドんとこに見舞いに行くんだろ?ったく、こんなとこでいちいち俺さまに油売ってねぇで、行くんならさっさと行けって」
「……あーはいはい。分かったよ、行けばいいんだろ!馬鹿ゼロスなんかに言われなくてもそうしますよーだ」

「まったく、ワケ分かんないよ」。捨て台詞のようにそう残して、諸手をわざとらしく振り上げながら、ジーニアスは横柄な様子でロイドの寝室へと向かって行った。宿から少し離れたこの場所は元より静かな村ということもあって、独りきりになれば俄然、静寂がゼロスを包む。

ひとまずロイドの様子は落ち着いているようだったから、後のことはコレットに任せてしまって、他の面々は各々自由な時間を過ごしている。それは特に皆が薄情だからと言うわけでなく、それが最良と判断したがゆえの決断だった。

昼間にロイドが襲われたその瞬間、傍にいたのはゼロスとコレットだけだった。それがコレットにとって幸か不幸かは分からないものの、それゆえ少なくとも、ゼロス以外の人間はあの時の彼女の行動を詳しく知らない。

――誰に言うつもりもないけどな。思いながら、ゼロスは複雑に戸惑う自身の心をそっと見つめる。あれほど激昂する感情に、ゼロス自身も覚えが無いわけではない。眠っているそれを呼び起こさせるほどに自分がロイドを信頼してしまっていることは十分に自覚していたし、実際、あの場でコレットが怒りを剥き出しにしなければ、同じ状態になっていたのはおそらく自分だ。

――同じ、なのだろう。だからこそゼロスは戸惑う。他人を信頼せずに生きていこうと誓っていたはずが、いつの間にやら手放しに信頼させられかかっているこの体たらく。自分が裏切り者であることに目を瞑ってしまいたくなるほど、それが心地良いのだということに、出来れば気付きたくはないと心底願う。

「……あら、ここに居たのね」
「ん?」

――そうしてジーニアスが去ってからしばらく。孤独な思考に身を沈めていると、ふいに聞き慣れた声が割り込んでくる。ゼロスが気だるげな動作でそちらを見やれば、立っていたのはやはり見慣れた旅仲間。水色の髪がどこかひんやりとした印象を与える彼女は、いつにも増して険しい表情のままでゼロスに視線を突き付けた。

「リフィル様じゃん。どーしたの、怖い顔しちゃって」

わざとらしくおちゃらけた声音でそう尋ねれば、リフィルの視線にさらに少しの苛立ちが混じる。

――本当、隠しているようで案外分かりやすい性格してんのよね、リフィル様って。思いながら、ゼロスは口元だけで少し笑った。

「……あなた、あの場に居たんでしょう?」
「ありゃ、もしかして昼間のお説教に来たとか?ごめんねー、俺さま気付けなくってさー」
「別に。そういうことじゃないわ」
「……あ、そう?」

自虐気味に言ったゼロスにリフィルはぴしゃりと否定の言葉を放って、なおも威圧的な表情を崩さないまま彼を見据えた。今更それに竦むようなゼロスではないが、居心地の悪さを感じないと言えば嘘になる。――いわばそんな程度の。

「昼間に何があったのかを聞きに来たの。……私達、ちゃんとした説明は何も受けていなくてよ」
「しいなはコレットちゃんに大体聞いたって言ってたけどな」
「……ええ、そうね。確かにおおよそのことなら聞いたわ」

ロイドとゼロスとコレットと、三人で居合わせたところにクルシスの刺客がやって来た。ロイドはそれに対抗しきれず、今のような大怪我を負った。確かに何も知らないわけではない。肝心なところすべてが抜け落ちた、小説の始めに記されるあらすじのようなそれならば。

「――聞いたけれど、私が知りたいのはそこじゃない。……コレットが変だわ。ロイドに付いて離れようとしないじゃない」
「ロイドくんにコレットちゃんが付きっ切りなのは別におかしいことじゃないだろ?元々誰にでも面倒見のいい、いたいけ〜な少女なわけだし?何よりコレットちゃんは……まあ、その先は言わなくても分かるだろうけど」
「でも……」
「とにかく、だ。話すようなことはなんもねぇよ、リフィルせんせ。俺さまたちは三人で居たところをクルシスのヤローに襲われて、命からがら退治して、怪我しちまったロイドをやっとの思いで運んできた。……説明出来るとしたらそんだけだぜ?」

ひとしきりの弁を振るって、ゼロスは心の中で吐息する。このリフィルという人間は、間違ってはいない理論に食いつくことをあまりしない。当たらずとも遠からず――結論に至るまでに何かが足りないと分かってはいても、正論に対して余計に問いただすという行為が彼女のポリシーに反するらしい。

分かっていながらあえてそれをするのにも、裏切りを続ける身には別段気が引けるというものでもなかった。もちろんリフィルのことは嫌いではなかったが、それ以上にゼロスの中で、今日のあの一件が閉鎖的であってほしいと思う気持ちが強かった。

「……本当に何も無いのね?」
「ああ。だからさ、リフィル様はロイドくんの治療に専念してやってくんない?その方がコレットちゃんも安心すんだろ」

言い切って、ゼロスは作り笑うように笑みを浮かべた。それに溜め息をついて、リフィルが返す。

「……いいでしょう、分かったわ。納得したわけではないけれど、……ここは一旦引き下がっておくことにします。それから、ロイドならさっき診てきたわ。……あの子、いったいどこまで丈夫なのかしらね。怪我の方はまるで心配ないみたいだし、一日も安静にしていれば動けるようになると思うから、あなたも出発の準備はそこそこにしておいてちょうだい」
「げー、マジかよ?さすがはロイドくん。馬鹿は風邪を引かない、ってのはそういう物理的なもんにも応用が利くのかね〜」
「……あら、それだとあなたも余程驚異的な治癒力を秘めていなければ割に合わないのではなくて?」
「そりゃどういう意味だよ、リフィル先生〜。まさかこのクールな神子、ゼロス様におバカ要素が存在するとでも?」
「ええ、そうね。よく分かっているじゃない」
「キビシ〜!俺さま泣いちゃう〜」

まったく、だったら勝手にお泣きなさいな。――それじゃあ、私は行くわね。呆れた調子でそう言って、リフィルはじゃれるゼロスを省みもせずその場を去った。

その視線がいつもよりやや批判的な色を含んでいたのは、たぶん気のせいではないのだろう。

「やれやれ……困ったもんよね〜、辛辣な美人教師ってのも」

ふっと笑みをかたどった仮面を外して、ゼロスは呟く。

――どいつもこいつも、やりにくいったらありゃしねぇ。



「よっ、ハニー。調子はどうよ?」
「ゼロス。……ま、なんとかな。おかげ様で生きてるよ」

リフィルが去ってから少しして、ほんの気まぐれで寝室に顔を出してみると、ベッドの上のロイドはへらりと笑ってゼロスを出迎えた。元気そうな様子に内心安堵して、ゼロスはもう一歩部屋の奥へと踏み入ってみる。ほんの少しして、傍らに居るはずの人間が居ないことに気が付いた。

「ありゃ、コレットちゃんは?」
「ん?ああ、コレットならさっきジーニアスと一緒に出てったぜ」
「あー……マジで?」
「……大丈夫だって。もう、ちゃんと落ち着いてるよ」
「そっか。そんならまぁ……って、……気付いてたのか、お前」
「そりゃあ……動けなくなる前には意識もあったからさ。……けど、あれだけ怒るコレットは初めて見たな」

少し困ったように微笑して、ロイドは小さく息を吐く。日頃のどこまでも温厚な彼女と一線を画したその表情は、怒りと言う名の悲痛だった。意識を失う直前のコレットの叫び声が記憶の中で鳴り響いたまま、今も警鐘と化して止まない。

映像を反芻するロイドの傍らで、ゼロスもまた同じ瞬間を思い返していた。ひどく大切な――ともすれば自分よりも重要な位置を占めている人間を奪われかけたことに対する明確な怒り。その理由はおそらく、今すぐロイドに正しい形で伝わることは無いのだろうが、コレットの純粋すぎる好意に裏打ちされた衝動だ。

「あいつ、本気で怒ったことなんてたぶんほとんど無いんじゃないかと思うんだ。いつも笑って俺たちの傍にいて、……だからさ、ちょっと驚いた」

一歩引いてロイドとジーニアスを見守っている、物静かで芯の強い女の子。昔から変わることの無いたったひとつの印象が、これほど揺らぐのは初めてのことかもしれない。

「……まーな。さすがの俺さまもアレにはちょっち驚いたけど。……でもな、ロイド。お前だってそれは同じだろ?」
「え?」
「コレットちゃんが心を無くしちまってる間のお前の近付きがたさったら無かったぜ?何言っても真剣に取られちまうしよ、冗談もロクに言えやしねぇ」
「あれは……いや、そうかもしれないけど……」
「今日のコレットちゃんはそれと同じ状態だったんじゃねーの?……ま、瞬間最大風速がちと違いすぎたけどな。この俺さまが驚きのあまり動けなかったくらいだし」

冗談交じりにそう言いつつも、ゼロスは瞳に少しの真剣さを宿す。あの怒りがロイドのためのものならば、たぶん一線を越えた瞬間に、コレットは他のすべてを敵に回す危うさをはらんでいる。

そもそもコレットが世界を救いたい理由は、世界の民を愛しているからというだけのものではない。もちろんそれ自体も含まれてはいるのだが、それ以上にロイドのためという気持ちが強いのだろう。ロイドの生きている世界――続いて仲間の笑っている世界。コレットは誰よりも、何よりも先に、ただそれを守りたいと願うのだ。

「あーあ。愛されてんなー、ロイドくんは」
「は?」
「ん?あーいや、気にすんな。独り言独り言」

ロイドの存在こそが、何よりコレットにとっての存在理由。だからこそ、それを失うことを怖れるがゆえに怒りが満ちる。その心理が理解出来てしまえること自体、自分もすでに同じ領域に入りかけている証明に等しいのだと知りながら、ゼロスは何度も繰り返す。

――出来れば分かりたくはない。誰かに、何かに寄りかかるなんざ真っ平なのに。

「……優しさ振り撒きすぎるのも、時々罪ってもんだよな」
「何だよそれ。どういう意味だ?」
「さーな。おバカなロイドくんにはちょっとムズカシーお話なんじゃないの?」

言えば、心外だというふうな表情でロイドが不平を口にする。息をするように誰かの欲しがる言葉を吐いてしまえる天然ぶりは、時々周囲にひどく罪深い溝を生む。

振り払えば振り払おうとするだけ、救われることで囚われる。どうせいずれ離れるのだと割り切って置いていた距離が、近付きすぎて抜け出せなくなって、やがて利害すら投げ出しかねない危機感を抱いてさえ。

「……ホント、どうしてくれんだか」

聞こえないように呟いてみても、靄のかかった心は一向に晴れてはくれない。今日のことでコレットは、ある意味自分に答えを出したようなものなのだろう。迷いや惑いを振り切って、彼女はそれでもロイドのために生きたいと願った。 それがたとえ自分にはどうしようもない類の衝動だったのだとしても、コレットはきっと、一度示された道を突き進んでいくだろう。

「……さーてと、そんじゃ、俺さまは誰のために生きてみますかね」
「……先から何言ってんだ?お前」
「んー、何だと思う?」
「だから知るかよ、そんなの」
「そうだろ?……だから困ってんのよ、俺さまもさ」
「……何なんだよ、ホント……」