Colors

一生懸命笑うのは、いつでも優しくありたいと願うから。たとえばそれ自体が作り物じみてどうしようもない願いだったとしても、言葉にしてしまえば簡単に壊れてしまいそうな、それは弱くて小さな願いだったから。

だから苦しさはぜんぶ留めておかなくちゃ、と。そっと決意したあの日から、心にある想いだけが変わらない。誰に伝えることも出来ないまま――消すことが出来るはずもなく、想いだけが、ただただずっとそこにある。

「なあ、コレットちゃん」

呟くように名を呼んだゼロスに、コレットは「なあに?」と一言返す。日頃の軽口がすっかり影を潜めたその声音は、コレットがこれから問われることを予測するには十分だった。

その秘めた感情を言葉にさせようとするのは、コレットにとってひどく酷なことだと思えた。けれど、酷なことを言わせようとしていることを知りながら、あえてそれを問おうとするゼロスもまた、自分自身に酷な現実を突きつけたいだけなのかもしれないなとも、思った。

「余計なことかもしんねーけど、いっこ聞いていいか?」
「……うん、どしたの?」

きょとんとした様子でそう返すコレットは、まるで日常を忘れまいとするかのように笑ってみせる。問われることは既に分かっているのだろう。いかにも作り物らしいその天然めいた振る舞いは、コレットにとって精一杯の防衛線であることに違いは無い。

「……言わねーのか、ロイドに」

問いかけたゼロスに、コレットは一瞬びくりと身体を震わせた。続けてつかの間だけ見せた、ひどく悲しげな表情をすぐにやわらかなそれに変えて、コレットは虚空へ言葉を落とす。

「なんのこと?……なんてね、エヘヘ」
「割と冗談じゃねぇんだけどな、実は」
「うん。……わかってるよ。だいじょぶ」

ゆるりとした風に手にしていた葉を散らすコレットへ、追撃の手を緩めずにゼロスは語る。何を、と告げることはあえてしなかったけれど、おそらくコレットの中で用意されていた答えと一致を見たのだろう。驚くこともせず、ただほんのりと笑みを浮かべて、彼女は「そうだね」とだけ小さく言った。

「……ずるいこと、言ってもいいかな」
「ん?」
「ううん、そうじゃないね。……質問。私もひとつ、ゼロスに質問してもいい?」

変わらぬ面持ちのまま、揺らぐことのない声音でコレットはゼロスへ言葉を渡す。纏う雰囲気に「しまった」と内心後悔して、ゼロスはこれから飛んでくるであろう何らかの問いかけに身構えた。

真剣な表情のそれは、常日頃の性格をも覆してしまうような冷静さに満ちている。駆け引きじみたことが得意ではない彼女だからこそ、その言葉は時に何もかもを深く抉るのだ。

「ま、最初に質問したのは俺さまだしな。……んで、何だって?」

覚悟して、ゼロスは問い返す。逡巡して、コレットは口を開いた。

「……ゼロスは、どうして隠そうとするの?自分の気持ち」
「え?」
「私に聞いたのと同じこと、私もゼロスに聞きたいの。……ゼロスは、どうして言わないの?しいなのこと、好き、……なんだよね」

控えめに口元だけで笑って、コレットはゼロスを見やる。

――なんだってそれをコレットが。反射的にそう言いかけて、ゼロスはすんでのところで思い留まった。コレットのその問いかけが果たして何をどこまで意図したものなのか、ゼロスには到底検討も付かなかったから。

「あー……あいつは腐れ縁っつーか、なんつーか……。はっきり好きとか嫌いとか、別にそういうんじゃねぇよ。大体、世の女性はみーんな俺さまのハニーなわけだしな!そういう意味でなら、たしかにあいつも入るっちゃー入るが……」

――なんて、こんな言い訳、気休めにもなりやしねぇ。それどころか、おそらく時間稼ぎにもならない。苦し紛れの言葉を放り投げながら思って、ゼロスは心の中で吐息する。

核心を突かれようとしている今でさえ、頭は逃げの一手をこれでもかと言うほど考える。逃れようとすればするほど泥沼に沈んでいくことなんて、もう呆れるほど昔に理解させられていることなのに。

「……だめだよ。分かっちゃう、から」
「……やっぱし?見逃してくれ……は、虫がいいよな、今更」

わざと困らせるような物言いをすれば、他人を何よりとするコレットはすぐに揺れたような顔をする。その顔を見たくはないと誰より願っているはずなのに、隙あらば逃げを計ろうとする自分があまりに愚かで疎ましい。

ゼロスは思う。どうせ、彼女から逃げ出したところで意味など無い。冗談めかしてこの場から逃げ出せたとしても、その相手がもうひとりの神子ではまるで意味がない。何しろコレットはゼロス自身であり――ゼロスはコレット自身だったから。

「っとに、根っからの天然ハニーちゃんかと思えば、妙なとこ鋭いのな。……ロイドと同じだ」
「……ごめんね。ゼロスが私のことをよく分かってるみたいにね、……私もゼロスのことがよく分かるよ。……本当はきっと私が答えなくっても、ゼロスは私がロイドにこの気持ちを言えない理由を分かってるって思う」

それでもあえて尋ねるのは、そうやって自分自身を傷つけてしまいたい気持ちがあるから。唯一同じ存在を鏡にして、自分を戒めていたいから。

「……怖い、んだよね」
「……っ」

言い放たれ、答えることもせず、ゼロスは否定を交えず押し黙る。

――小さな静寂。どこか悲しげな表情のコレットは、ゼロスに同情していると言うより、まるでそこに自分自身を映して責めているかのようだった。

「怖い、よね。……拒絶されることがね、怖いの。私がロイドに好きって伝えたら、幸せな今が壊れちゃうんじゃないかって」 
「コレット……」
「……あ、あのね!受け入れられなくってもぜんぜんいいの。……そうじゃなくってね。天使なんかいらないって、そう言われるのが怖いの。……ちゃんとわかってるんだ、ロイドがそんなことを言う人じゃないってこと。だからね、これは私の勝手な気持ち。……そんなことばっかり考えてたら、どんどん勝手な自分が嫌いになっていっちゃうんだよ。……そうしたら、前よりもっと言えなくなるの」

伝えることに臆病になる。言葉にせずに留めておけば、消えることも変わることもない想いだから。

「……自分のことが、大嫌いでたまらない日があるの。こんなちいさな私が生きようとするから、だからたくさんの人の命が失われたんじゃないかって、……そう思うことがあるの」

誰よりも強い、強い自責の心で自分自身を傷つけて、自分の価値を貶めてどこか安心する。自分の幸せを願うことは間違いだと信じて生きてきたから。何よりも、他者のために生きることが尊いと言われて生きてきたから。

「天使は、天使に恋が出来たらよかったのかな?」

そしたらね、きっとすごく楽だったって思うんだ。痛み混じりに笑って、コレットは言った。

「なーに、つまりその場合、コレットちゃんの相手は俺さまってわけ」

小さく笑って、ゼロスはコレットを見やる。

「……なんてな。俺は趣味じゃねーか、さすがに」
「ううん、そんなことない。ゼロスはとても優しいもの。……でもね、だめなの。……ゼロスの相手がきっと、私じゃだめなように」
「おいおい、耳が痛いねぇ……」

お互いがお互いを大切に思う気持ちは、同情ではないけれど恋でもない。対になって存在しているその唯一として、お互いしか分からない痛みを共有する奇妙な関係。

とても尊いのに、とても痛い。それはおそらくお互いが相手に自分を重ねるあまり、傷つきながら支えあう形になってしまっているせいだろう。救われれば救われるほど、同じだけ傷が増えていく。優しさが棘になると知ってしまっているから、いつだって彼らは本当を話すことしか許されない。

「なあ。いつか逃げられなくなったら、コレットちゃんはどうする?」
「……逃げられなく、なったら?」
「ん。とうとう言わないわけにはいかなくなる状況、っての?そのうち来んだろ。別にロイドのことやしいなのことだけじゃねぇ。……お互い、抱えてるもんは随分とあるみてぇだしな」
「ゼロス……」

問いかけられて、コレットはしばしの間黙り込む。逃げられない状況。もしも本当をさらけ出さなければ前に進めない日が来たのなら、迷わずに立ち向かえると言い切る自信は無い。

いつだって自己犠牲を選ぶことで楽をしようとしているだけなのだと、本当は分かっているつもりだった。それをロイドが何より嫌うことも、そうすることできっと、自分自身がますます嫌いになってしまうことだって。

「……もし、ロイドに聞かれるまで、私が何も言えなかったら」

どうするだろう、なんて。――もう幾度目にもなる問いかけをする。最悪の状況を、何度も何度も考える。今更考えたところで結論が変わらなくなるほど、何度も。

「……きっとね、すごく後悔すると思うんだ。なんで今までちゃんと言わなかったんだろうって。それでたぶん、何とか逃げられないかなって考える。……ロイドのためって言い聞かせる自分を大嫌いになりながら、弱い私は逃げようとすると思うの」
「どうしたって逃げられないのに、か?」
「うん。……逃げられないのに逃げたくなるから、こんなに苦しくなるんだって。……わかってても」

結局自分可愛さに逃げているだけなのだと気付かされることが怖くて、はじめは逃げていないふりをする。誰かのためにと理由をつけて、自分が正しいと思い込めば少しだけ、傷つかないままでいることが出来るから。

それが打ち破られてしまったとき、余計に傷つくことを知っているのに逃げることを止められない。誰かのためにならいくらでも立ち向かってしまえるのに、自分のことからはいつだって逃げ去ってしまいたくなる。

どうしても自己犠牲的になってしまうのは、コレットの場合、そこに自責の念があるからなのだろう。神子の使命を投げ出してしまったことで、失われた命がいくつもあることを彼女はちゃんと知っているから。

対するゼロスは「誰かのために」を捨て去ることで殊更に自分を守ろうとする。繋がりを捨てきれないことを分かっていながら心ごと閉ざそうとして、それが出来ないことを理解させられるたび、傷ついて結局自分を嫌う。この世に望まれていない自分を守ろうとすれば守ろうとするほど、自分への嫌悪がひたすらに募る。

悪循環だと分かっていても、生き方を決して変えられない。ひどく不器用なふたりは、八方ふさがりを何より恐れる。その日がどうか来ないようにと願って――それはただ、ひどく臆病な子どものように。

「いつか言わなきゃって思うのに、そのときのことを考えると怖くなるの。……どうしたら、いいんだろうね」

もっと強くなれたら、ちゃんと言えるんだろうか。もっと自分を好きになれたなら、恐怖ばかりの弱い自分を捨てきれたりするのだろうか。

コレットの言葉を受け取りながら、ゼロスは一度息づいた。――こうして言葉を交わすたび、気付かされることはたったひとつだ。

「……さんざっぱら悩んだところで、どうせ答えは出ねぇんだろうな。……結局、俺たちだけじゃ駄目だってこった」

――無力なまでの神子ふたりでは。言葉にはせず、ゼロスは思う。

「うん。……そう、だね」

誰にも言えないことがある。醜く変わっていく自分の姿を誰にも見られたくないと願いながら、いつか話さなければならない時が来ることを怖れる傲慢さと。

――誰にも言えないことがある。雪の日を怖れる小さな記憶に囚われたまま、苦しげにもがく自分への嫌悪と。

「似たもん同士、ってか。……救えないっつーか、なんつーか……」

同じである以上、同じ場所から決して先へは進めない。ゼロスは思う。――そこに新しい答えは生まれない。いつだって。

「……いまゼロスが考えてること、わかるよ」
「俺たちふたりじゃ結局先へは進めない。……そういうこったな」
「うん。……でも、でもね。私たちがおんなじなのは、きっと悪いことばっかりじゃないよ」
「……そうか?」
「そうだよ。……だって、私はゼロスにいっぱい助けられてるから。昨日も今日も、……だからね、きっと明日も」

傷つけあいながら、助け合いながら。傷ついても同じぶんだけ救われる。そう信じている。

「そうだといいんだけどな。……んじゃとりあえず、今日の話は俺さまとコレットちゃんの秘密、ってことで」
「うん。……ね、ゼロス?」
「ん?」
「いつか……言えるといいね。……ちゃんと、言えたらいいね」

自分の意志で、自分の言葉で――迷わずに。そう包み込むようにして、コレットは微笑った。

「……ああ、そうだな」

――本当に、そうなればいい。柔らかに放たれた、コレットの言葉にゼロスは思う。

――わけの分からないこの痛みの正体が、その一歩で少しでも薄れてくれるのなら。