決意の旅立ち

他人に対して穏便であることを求める分、自分に対しても慎重なのだと思っていた。少なくとも、今までは。スパーダは思ってから、割り切れない想いで傍らのルカを見やる。
 自身も伝染病に罹っていることを知りながら、それでも故郷を救おうとするその勇気は、多分に臆病な心根の一体どこから振り絞られているのだろう。それを思うたび、どことなくやるせない気持ちになって、悪態を吐きそうになる衝動を必死に抑える。
「なあ、ルカ」
 努めて冷静に呼びかければ、きょとんとした様子でルカはスパーダを振り向いた。シェリアに応急処置を施してもらってからのルカは、まるで何事も無かったかのような振る舞いをする。所詮は自分を騙しているだけなのだと分かっている分、尚更その無茶な振る舞いを咎めたくなってしまって、無意味な苛立ちは募るばかりだ。
「お前、何でそうまでしてあの村を助けたいんだよ? 別にお前が行かなくたって、腕っぷし強そうな奴はわんさかいんだろ」
 それでなくともルカは日頃、村の不良どもに絡まれて散々な目に遭っている。両親は隣町で開業医をしているはずだから、別に家族が危険に晒されているというわけでもない。村への愛着が無いというわけではないのだろうが、わざわざ救いに行く動機にするにしては、それらはどれもあまりに薄い。
 スパーダ自身を含め、ケンカしか能が無いような人間をいくら救ってみたところで、どうせ平穏とは縁遠い元の生活が待っているだけなのだろうに。死の恐怖を押してまでどうしてそんなことをするのだろうと、ただただそんなことを漠然と、思う。
「田舎だわ、寂れてるわで、どうせロクなヤツも居やしねぇ。あんな村のために、どうしてお前がそこまでする必要あんだよ?」
「……そこに住んでいるのがどんな人でも、そこにあるのがどんな土地でも、こんなことで命を奪われていい理由にはならないと思うから。だから助けたいんだ。僕はね、スパーダ。誰かを救うために医者になりたいと思ったんだ。……その人たちを救う前に、全部を失ったりしたくないから」
「……ルカ」
「それに、僕があの村を助けたいのはそれだけじゃないんだ。ねえ、スパーダ。あの村に居た時から、僕は僕が感染していることに気付いていたんだよ。……その間、毎日のように僕とスパーダは傍に居たから。このままにしておけば、きっと君も感染してしまうと思うんだ」
 ずっと一緒に生きてきたのに。こんなことで、こんなところで、君を失ったりしたくないから。だから、僕はそのために戦う。勇敢な眼差しのままで言い切って、ルカはスパーダに少しの笑みを投げかける。
「……なんてね。ホントは、ずっと怖くて……戦うときだって、剣を持つ手が震えてるくらいなんだけど」
 強くあれとどれほど言い聞かせても、根が臆病なこの身体は、なかなか言うことを聞いてはくれない。誰かを守るというよりも、むしろ守られてばかりの自分はせめて、言葉だけでも強くあり続けるしかないのだろうとルカは思う。
 幼い頃から自分を助け、時には叱咤してくれたスパーダを、無力に嘆いて、何も出来ないで、ただ失うことはしたくない。もしもこのまま病が進んで、村の全てが滅ぶとなれば、おそらく先に死ぬのは自分なのだろう。そうなれば、スパーダを残して独りにしてしまう。
 一匹狼で居ようとするくせに、誰かの傍に居ることが好きなスパーダだから。やさぐれているように見えて実は情に厚い、誰かの幸せを自分の幸せに変えてしまえるスパーダだから。たとえ自分が傷ついても、苦しんでも、スパーダを孤独に死なせることはしたくなかった。
「馬鹿野郎、ルカ……それでテメーが死んだらどうすんだよ? まさかオレが生き残ればそれでいいなんて言うんじゃねぇだろうな、あァ?」
「言わないよ。……言わない。そんなことを言ったらスパーダが怒るってことくらい、ちゃんと分かってるから」
 もう何年も一緒にいるせいか、何が相手を怒らせて、何が相手を悲しませるのか、痛いくらいに分かってしまう。ルカ自身としては、死ぬことだってもちろん怖くはあったけれど、スパーダを死なせるくらいなら自分がと、そう思う気持ちもないわけではない。けれど、それを口にすれば誰よりスパーダが苦しむことを知っているから。だから、その道を選ぶことはしない。共に生きて帰り、共に生きていくためのやり方を探して世界樹へ向かう。
「なんて、偉そうなことばっかり言っちゃったけど、僕、全然強くはないから……。世界樹に近付いていくうちに、負けそうになっちゃうこともあるかもしれない。だから、スパーダ、その……僕と一緒に戦ってくれる? スパーダと一緒なら、この先もきっと大丈夫だって思うんだ」
「……ああ、ルカ。お前がオレを守ろうとしてくれんなら、オレは言われなくてもお前を守るぜ。……死なれちゃ困るのは、別にお前だけじゃねぇんだ」
 最後だけは聞こえない程度の声でそう言って、スパーダは視線を落として嘆息をする。ルカが自分を死なせないと願ってくれるそれ以上に、おそらく自分がルカを死なせたくないと願ってしまっているのだろう。
 必要以上に身を案じることは余計にルカの不安を煽るだけなのだと分かっているのに、いざ勇敢さばかりを保ち続けるルカの姿を見ていると、そのまま崩れてしまうのではないかという不安に駆られる。元来争いを好まず、ひどく臆病なルカが立ち上がるその理由の多くが自分であることに、罪悪感に入り混じって少しの優越感を覚える自分が疎ましいやら、誇らしいやら。
「スパーダ?」
 そうして物思いに沈んだスパーダに、ルカは「どうしたの?」とでも言いたげな様子で名前を呼んだ。現実に立ち返ったスパーダは、いつもの調子を取り繕うように、一言。
「あァン? 何まじまじと見てやがる。……とにかく約束だ。オレはお前を死なせねぇ。いつもお前の剣となって戦い、必ず生きて村に帰してやる」
「……ありがとう、すごく心強いよ。うん、やっぱりスパーダが一緒に来てくれてよかった。僕ひとりじゃ、きっとここまでは来られなかったと思うから……」
 がんばろうね。一日も早く、こんなに悲しいことが終わりになるように。ふわりと笑ったルカに「おうよ!」と返して、スパーダは気合十分に「うっしゃー!」と叫ぶ。
 ――守ってみせる。たとえ誰が向かって来ても、どんな困難が訪れたところできっと。無言の決意を改めて、スパーダは一歩二歩と先を行く、ルカに並んで空を見上げた。
 雲ひとつ無い青空からは、燦々と白の光が降り注ぐ。その美しさは二人を真っ直ぐ見下ろしながら、不退転の決意を祝福しているようにも見て取れた。