Cryolite-Sample-

 聞こえてきたその声は、先ほどゼロスに問うた声と同じものだった。おそらくこの声の主が二人をこの場所に呼び出した当人なのだろう。ひどく純粋なそれは、この空間に連れ込まれたあの瞬間の悪意めいた感覚とは少し違う。思って、コレットは遠慮がちに尋ねた。
「あなたは、誰なの……?」
「僕は、知りたいだけ。ねえ、どうして君は世界が好きなの?」
 コレットの問い掛けに答えることもないまま、声はコレットにさらなる答えを要求する。そのうちぐるりと姿を変えた風景は、見覚えのあるイセリアのものだった。何のことは無い、住民が寄り合って世間話をしている平和な日常。けれどかつて目にしたその光景に、コレットはしばし黙り込む。
 シルヴァラントの神子には再生の旅を遂げる責任がある。これは神子として生まれて来た者の義務であり、名誉でもあるのだと。ならば、本当にあの子供にその覚悟はあるのだろうか。資質はあるのだろうか。平和主義を悪いとは言わないが、心優しいことと無力とは違う。これまでにも再生の旅は何度も失敗しているし、シルヴァラントは限界に達しつつある。もうこれ以上、無駄な失敗は許されない。彼女に任せるくらいなら、遠い地に居る親類を神子に仕立て上げることも考えるべきではないのか。彼らが話していることは、概ねそんなようなことだったと思う。
 これを聞いたのは、コレットの記憶によればそれ程昔の話ではない。この旅に出る何ヶ月か前のこと、たまたま物陰から聞いてしまった話。――泣いたりは、しなかった。当然のことだと思った。お世辞にもてきぱきと行動出来る方ではないし、神子であることを除けば特別な力があるわけでもない。ただただ普通の人間に、世界を任せるのは怖いだろうと思った。失敗すれば世界が滅びてしまうかもしれないほどの重責を、「神子だから」と任せて待つことだって、きっと勇気が要ることなんだろうと、そう思った。
「君は世界が好きなの?嫌いなの?」
「……私は、好きだよ。シルヴァラントも、テセアラも、どっちの世界も」
 シルヴァラントでの世界再生がテセアラに荒廃をもたらすのだと知ってしまったら、その道はもう選べない。どんなにたくさんの人が世界再生を投げ出した自分に失望してしまっても、目を瞑って自分の世界の幸せだけを願えない。だって、もう知ってしまった。テセアラに生きる人達が居て、心優しい人達が居て、一生懸命生きている人が居ること。一緒に戦ってくれる仲間も出来た。そんな世界を投げ出せない。
「どうして?嫌いなものを嫌いって言わないのは、不思議」
「え……?」
「あの子も、あの子も不思議。好きなものを、好きだって言わない」
 ねえ、どうしてなの。どうして好きだと言い続けるの。言われて、コレットは言葉を失くす。いつだったか、誰かに言われたことがあった。「本当にコレットは優しくていい子だ」と。そんなことはない、と思った。けれど、言えなかった。だってそれを否定したら、そう言ってくれた相手を否定することになってしまう。誰かがそう言ってくれたなら、私はそれを受け入れて、もっと優しくいられるように努力しなくてはいけないと思った。みんなが私に掛ける言葉は、きっとみんなが「神子」に求めている言葉だ。それならたとえ私がそんなに素敵な人じゃなくても、その言葉に応えられるような自分にならなければいけないと、そう思って生きてきた。
「……私は神子だから。みんなが私を頼ってくれるなら、私はみんなの力になりたい」
「道具でも良かったんだ?ひどいって思わなかったんだ?」
「うん。……それでみんなが幸せになれる世界が生まれるなら、私は平気だよ……」
 自分一人の悲しみが世界に幸せをもたらすのなら、どんなことも辛くはないと思えた。だって、神子はシルヴァラントに幸せをもたらす存在なのだと教えられた。世界のためにその身を捧げることが出来る、ただ一人の神の遣い。自分を犠牲にすることは尊く、何物にも代えがたいことなのだと。そう、思って生きてきた。誰もそれを否定しなかった。――否定、してくれなかった。