Cryolite-Sample-

「……ありゃ、そういや肝心のコレットちゃんは?」
「コレット?ああ、コレットならさっき近くに水の音がするから、水を汲みに行ってくるって言ってた。リーガルが付いてくれてるから大丈夫だよ」
 天使化の名残もあって、コレットにはその気になればこちらの話し声を聞き取ることも出来る。急いで移動しているわけでもないし、戻ってくるのにもさして支障は無いだろうからと、リフィルが先ほど送り出したのだった。
「リーガルねぇ。そういやあのおっさん、昨日寝ずの番だったんじゃなかったか?この行軍きっついだろうな〜」
 ゼロスが「もう若くないんだし」と茶化して言えば、「確かにな!」とロイドが笑う。そういえば前にもこんなやり取りにリーガルが傷ついていたなと思い返して、ゼロスはおそらく皮肉ではなく純粋に同意しているのであろうロイドを何とも言えない目つきで見やった。
「……俺さま前から思ってたんだけど、ハニーのおっさんの境界線ってどこらへんよ?」
「は?」
「んーや、リーガルがおっさんってんなら、世の中の相当数がおっさんなわけだろ。その辺の基準がどうなってんのかなーとか思ったわけ」
 まさかとは思うけど、俺さままでおっさんだなんて言わないよな。ゼロスが冗談半分に言えば、ロイドが「まさか!」と笑って言った。
「ゼロスなんて俺と大した変わんないじゃん。さすがにおっさんとは言わないよ」
「変わんないって……おいおい、そりゃないだろ〜。俺さまとロイド君、いったいいくつ違うと思ってんの」
「四つや五つくらい違ったって、ゼロスだってまだ大人になってから少ししか経ってないだろ?なら大した違いじゃないって」
「だーかーら、俺さまがいくら若くてもロイド君にとっては俺さまの方がずっとお兄さんなの。背も追いつかないうちから生意気なこと言うんじゃありません」
 そう言ってゼロスが意図的にロイドを見下ろすふうな態度を取れば、ロイドは拗ねたような表情でゼロスを見やった。「背くらいすぐに追いつくって」。そう一言口にしてから、「三年で絶対後悔させてやる!」とロイドは内心意気込んだ。
「……でも、クラトスのことは別におっさんだとは思わないな」
 それからふと話題を戻して、ロイドは差し当たって思い浮かんだ人物の名を挙げてみる。唐突に口にされたその名前に、露骨に表情を歪めたゼロスに気付かぬままで、ロイドは続けた。
「いや、だからって兄貴みたいだとか、そういうふうに思うわけじゃないんだけどさ。……うーん、なんて言うのか……」
 ロイドのクラトスに対するこれまでの認識と言えば、とにかく最初から最後まで傭兵そのものでしかなかった。今は裏切られてしまった格好だけれど、ロイド自身はそれを本心からのものではないと信じているし、また信じたくないとも思っている。そうしてクラトスに対してはいつだって相手に対する「感情」ばかりが先行してしまうものだから、クラトスそのものをはっきりと位置づけたことは今まで無かった。
 ひとまず実年齢を置いておくとして、見た目だけなら十分若い。整った顔立ちに見事な剣筋が「傭兵」という立場以上に凛々しくクラトスを映し、それが若さに重ねて貫禄をも感じさせる。つまるところ、一言で言ってしまえばロイドはクラトスに憧れを抱いているのだろう。
 傍らのゼロスにしてみれば、クラトスに対しては悪感情以上のものを抱くことが出来ずにいた。無論、仕事相手としては申し分無い。大抵の報告は労せず伝わるし、どんなことがあろうと約束の刻限は守る。傭兵としての腕も確かだ。けれど、クルシスの目的を知っていながらユグドラシルに手を貸し、思考停止に身を投げようとするその姿は、ゼロスにひどく嫌悪感を抱かせた。こんな感情、どうせおそらく同属嫌悪の類でしかないのだろうと。それを理解していてさえも、自分の罪に目を瞑り、逃げ出そうとする人間を嫌わずには居られなかった。
「ま、ハニーは強いヤツが好きだもんな。多少贔屓目になっちゃうのも仕方ないんじゃないの」
 渦巻くあれこれを押し隠して、ゼロスは何の気ないふうに投げかける。けれどほんのささやかに残った棘は、ロイドに本能的な違和感を抱かせるには十分だった。
「……ゼロス?」
「ん、どうかした?」
「なんかお前、怒ってないか?」
 瞬間、ゼロスは後悔する。他人の感情の機微をこれほどまでに正確に察知する人間もそうは居ない。それも他人を謀ろうとあれこれ神経を尖らせているわけでもなく、ただひたすら無意識に。――ああもう、性質が悪い。
「なーんで今の流れで俺さまが怒んなきゃなんないのよ。俺さま全然ご機嫌よ?」
 状況を打開すべく、それらしい言葉をいくらか放れば、「ほんとかよ」となおも疑わしげなロイドの表情。
「うーん……ま、それならいいんだけどさ」
 結局、どこか納得がいかないといった様子でゼロスの言葉を受け入れて、ロイドはそれ以上の追及を諦めた。
「それで、さっきの話なんだけどさ。おっさんかどうかって、やっぱその人次第ってことなんだろうな」
 そうお気楽そうな調子で続けるロイドに、ゼロスは心の中で安堵の息を吐いた。