Violet

ふと瞳の翳る感覚的なところも、皮肉屋で周りに素直で在れないところも、何もかもが似ていると思った。――それを口にすればきっと話をしてもらえなくなると思うから、僕は絶対言わないけれど。

シャルティエは思いながら、つとめて心の中だけで小さく笑った。たとえ「笑った」という表現が正しくなくとも、彼のマスターはシャルティエの感情の機微をこれでもかというほど的確に読み取ってしまうから、あえて人間らしくそう表現せざるを得ないのだ。

いかんせん付き合いが長いぶん、ソーディアンと言えども隠し事は容易ではない。言葉やその場に漂う雰囲気だけで彼のマスターであるリオンは諸々を察し、やれ今日は機嫌が悪いだの、やれ何を拗ねているんだだの、容赦ない突っ込みの数々をシャルティエに浴びせる。

それはそれで嫌いではないのだけれど、何しろ常にさっぱりした突っ込みならともかくとして、リオンのそれはボディーブローのようにじわりと傷を増やしていく困りものなのだ。そうしてあるとき強烈な一撃を喰らわされ、彼の揺るぎない忠誠心が瓦解させられそうになるほどのダメージを受ける。

そこまで分かっているのならそうなるような事態を避ければ良いのだろうに、それもまた良しと思う自分が存在するのだからまったく、始末に負えない。

近頃は自分の境遇の何ひとつを不遇だとすら思えなくなっている。たとえ誰かの正しさに真っ向から背く選択をしても、それに対して一片の後悔すら覚えはしない。――それが半ば盲目的な感情だと分かっていても。

「そもそもあれで姉弟じゃないと言うほうが僕には信じられませんよ。あの瞳の色なんてまさしくそのものじゃないですか。……まったく」

坊ちゃんも素直じゃないんだから。虚しくもひとり置き去りにされてしまったテーブルの上で、シャルティエは溜め息を吐きつつ呟いた。深いアメジスト色の、見るものをどこか惹きつけて離さないその冷たくも神秘的な透明色は、二人が特に共通して持ち合わせているものだ。

瞳の色が紫色、と言うこと自体はとりわけ珍しいものでもないけれど、あの澄み切って――まるでガラス玉に色付けされたような流麗な紫を持つ人間は、世界を探してもそうはいないだろうと思える。

「それにしても、坊ちゃんは大丈夫なんでしょうか。なにも僕を置いて行かなくたっていいのになぁ……」

尚更深く息づいて、シャルティエは鬱々とした気分で周囲の様子をうかがってみる。こういう時、剣というのはやっぱり不便だ。自分で移動することが出来ないせいで、一旦置き去りにされてしまえばそれ以上はどうしようもない。

結局、シャルティエは先ほどの一場面を刻々と回想しながら、あまりにも不器用な自身のマスターへと思いを馳せる。たぶん坊ちゃんは今頃、どこか人気の無いところにでも行って反省会でもしているのだろう。いつだって言ってしまってから後悔するくせに、肝心なことは一言だって口にしない人だから。――だからきっと、今日もご多分に漏れず。

落ち込んで溜め息に揺れるリオンの姿を想像して、シャルティエは微笑ましげに笑ってみせる。リオンは冷静な判断に長けているのに、反面、自身の本質を悟ることがことごとく不得手でもあった。自分の感情を上手く理解「できない」と言えば良いのか、それとも「しようとしない」と言えば良いのか、その真偽はともかくとして。

万事がそんな調子だから、リオンはすぐにさっきのように意固地になってしまって、誰かを否定しようと心にも無いことばかり言ってしまう。その後に見せる、あの自己嫌悪の表情は幼い頃から変わらない。関わりに目を瞑ってやり過ごそうとするからこじれてしまうことを知っているはずなのに、孤独でいようとするのが痛ましくて――だけれどリオンがそうするたびにただ少し、優越感にも似た感覚を覚えてしまうことに、シャルティエとしては罪悪感が無いこともない。

「だって、誰にでも優しい坊ちゃんっていうのもそれはそれで……なんというか……って、僕は誰に言い訳してるんだろう」

リオンが仲間を得たことに対しては素直に嬉しいと思えていたし、シャルティエ自身がリオンへ贈った言葉はすべて本当だ。自分が人間として生きていた頃は戦いばかりの毎日であったし、何の打算も無い、心ひとつで命を預けられる友人を持ったことは一度として無かったから。

「でもなぁ……」

なおも呟きながら、シャルティエはどこか複雑な心境を整理しきれずにいる。たぶんリオンが世界中の誰を呪っても、誰を嫌っても、自分だけは彼の信頼の範疇から外れることはないだろう、と。シャルティエの中には、一種傲慢とも取れる絶対的な確信めいた思いがあった。

そう、ある点では――彼が唯一すべてを賭けるマリアンに対してのそれと同じ。坊ちゃんは僕を守りたいとは思わないけれど、僕と共に在りたいと、歩みたいと願ってくれるそれは、何より信頼の証だと信じている。そして、それは僕もまた同じ。

思って、シャルティエは心もち控えめに数度目の嘆息をする。同時にぎしり、と扉の軋む音がした。

「ん?」

疑問符を浮かべてはみるけれど、部屋に漏れ込んだ逆光が姿を眩まして、帰り着いた人間の特定を許してはくれなかった。放置されている角度の都合上、入り口は少々見渡しにくいのもあって尚更だ。

そのうちこつこつと音を立てて、人影が室内に踏み入ってくるのが分かる。当の人物が一言も発さないものだから、疑問が解決するまでにそこからしばしの時を要した。

「あれ?あんたシャルティエじゃない。リオンは一緒じゃないの?」
「あぁ、なるほど!ルーティさんでしたか!」
「……なによそれ。今気づいたってわけ?」
「それが、ちょうど坊ちゃんの置き方だと入り口のあたりがよく見えないんですよ。どなただろうと様子を窺ってみても一言も話していただけませんでしたし……」
「そりゃ、普通誰もいないと思ってる部屋でわざわざ喋らないわよ。アトワイトがいれば別だけど」
「あれ、珍しいですね。アトワイトは一緒じゃないんですか?」
「ええ、ディムロスと一緒に置いてきたわ。留守番……と言うより、スタンを監督させてる、とでも言った方が正しいのかしら」
「さっきのアレですか……すみません、その節は坊ちゃんが……」

思い返して、苦々しげな声音でシャルティエは謝罪する。別に、と前置いて、ルーティは言った。

「あいつ、いつもああじゃない。慣れたもんだわ。……少なくともあたしは、ってだけで、スタンはそうじゃなかったみたいだけど」

言い争い、というより先ほどのそれは半ば一方的な三行半だったけれど、あれがリオンなりの照れ隠しであることは誰の目にも明らかだ。誰より、スタンを除いては。

「スタンってホント馬鹿よねー。あんなの少しくらい考えれば分かることじゃない。あいつ、スタンのことは割と信用してるみたいだし?……ま、あたしとは違ってね」
「ルーティ……」
「とりあえず、しばらくはあたしも自動的に暇人ってわけ。どう?あんたも暇なんだったら話にでも付き合う?」
「ルーティとですか?ええ、是非そうさせてください。ちょうど退屈していたところだったんですよ。坊ちゃんったら、いつまで経っても帰ってきてくれませんし……」

もう、僕がここに居るって言うのに。わざとらしく泣き真似をして、シャルティエは失笑するルーティの瞳を垣間見る。――ああほら、やっぱり坊ちゃんと同じ色をしてる。紫色にひどく澄んだ、あの透き通るように射抜く強い瞳と一緒。

「……にしても、いきなり話って言ったって話題も何もあったもんじゃないわね。何か無いの、シャルティエ?」
「ええぇ、僕ですか?……そうですね。それでは、僕がずっと思っていたことを言ってみても構いませんか?」
「……あんたが思っていたこと?なによ、怪しいことじゃないでしょうね」

訝しげにそう言って、ルーティは手近な椅子に腰掛ける。宿の一室はとても静かだ。未だに誰が帰ってくる様子も無いこの場所から覗く、あの空はまだ晴天を保って、白昼の光がゆらりと窓際に降り注いでいる。

――なんとも奇妙な光景だ。ソーディアンと人間がひとりずつ。シャルティエにしてみればともかく、ルーティにしてみればそれこそ他人の関係に過ぎないふたりが、何気ない世間話に花を咲かせようとしているだなんて。

「坊ちゃんとルーティって、似てますよね?」
「……はああぁぁ?あたしとリオンが?」
「ええ。ずっと思っていたんですが、坊ちゃんにはとても言えないので今言ってみました」

あっけらかんとして語るシャルティエに、苦虫を噛み潰したかのような表情でルーティは頬杖をつく。そりゃあ確かに殺されかねないわ、と呆れ返りながら呟いて、彼女はシャルティエに視線をやった。

「そもそもあたしとリオンの何が似てるってのよ。性格?……だとしたら二重にショックだわ」
「うーん、そうだなぁ……変に意地っ張りなところとか……ああ、現実主義者っぽいところもそうかもしれませんね。とにかく似ていると思いますよ。……あくまで僕に言わせれば、ですけど」

容姿が似ている、という趣旨の発言だけをことさらに控えて、シャルティエは誤解を恐れずありのままを告げてみる。彼らがお互いを目の敵のように捉えて言い争ってしまうのはたぶん、見過ごすにはあまりにも、二人が似通ってしまっているせいなのだろう。

現実的で、排他的で、皮肉屋なのに反面、とても優しい。顔を合わせるたびに憎まれ口の応酬になってしまうのは、相手を通すことで自分自身の矛盾が見えるせいなのか、それとも単純に嫌悪するのが自分に似た性格だと気付いていないのか、それは分からないけれど。

――ただ、理由はたぶん前者なのだろう。思いながら、シャルティエはルーティの返答を静かに待った。日頃、何を言っても早々に返されるはずの言葉がなかなか返らなくて、余計なことを口走ってしまっただろうかと今更焦る。

「……あの、ルーティ?」
「ふーん。あたしとリオンが、ねぇ……」

ほとほと心配になってシャルティエがルーティの名を呼べば、彼女はどこか考え込んだような様子で独り言ともつかないような言葉をひとひら落とした。含みのないそれはいつになく真剣味を帯びて、それがまたシャルティエに余計な不安を煽らせる。

坊ちゃんが知らせたくないと願うのなら、知られてはいけないのだ。――いっそのこと打ち明けてしまえば良いのに。そう思うことこそあれど、坊ちゃんなりに導き出した結論を、手ずから踏みにじるようなことだけはしたくないと思うから。

「……ねえ、シャルティエ」
「はい?」
「あんた、ちょっとの間だけでいいわ。独り言だと思って、あたしが何言っても怒らないで聞いてちょうだい」
「え、あ、ええ……」

そんなことを考えているうち、ふいにルーティの一声で現実に引き戻されて、シャルティエは生返事だけを一言返す。そうと断るからには、よほど辛辣な言葉が飛び交うのだろうか。ぼんやり思いながら、彼女の言葉に静かに耳を傾けた。

「あたし、あいつは苦手だわ。……んで、今まではそれが何でかなんて考えたこともなかったんだけど。……そうね。今あんたに言われて、少し分かった気がする」

前置きして、ルーティはゆるりと瞬きを繰り返す。躊躇いを振り切るように、彼女は続けた。

「……認めるのはいまいち癪だけど、たしかに似てるのかもしれないわ、あんたの言ったとおり。あいつ見てるとさ、なーんか自分を見ているみたいで嫌になってくるわけ。変なとこ澄ましてるし、人の言うことは聞かないし、意地っ張りだし、たまに喋ったかと思えば皮肉ばっかだし」
「ははは……」
「でもさ、振り返るとあたしもいろんなところで似たようなこと言われて生きてんのよね。……そんで散々冷酷女の噂が飛び交った挙句、付いた通り名は強欲の魔女ってわけ。……ホント、笑っちゃうわ。失礼もいい加減にしろって感じ」

人並みの甲斐性くらいは持ち合わせているつもりが、他人に見向きもしない金の亡者に仕立て上げられて、気付いたころには後戻りすら出来なくなった。他人が自分をそう呼ぶならと気にも留めずいるうちに、いつしかそれが当たり前のルーティ・カトレットという人間になり――名前だけが一人歩きしてしまわないよう、自分が名前を追いかけなくてはいけなくなった。

「ま、あいつが何から自分を守って斜めに構えてるのかは知らないけど。とにかくあいつのああいうとこ見てると、自分の姿見せられてるみたいでイライラするのよね。たぶんあいつがあたしに突っかかるのも同じ理由でしょ?……避けようがないんだから仕方ないじゃない。所詮は他人なんだもの、中途半端に似てるってのも損ってもんだわ」

諦め口調でそう言って、ルーティは盛大な溜め息と共に伸びをした。無性に真実を伝えたくて仕方がなくなってしまう衝動を律して、シャルティエは「そうでしょうか」とだけ相槌を打ってみる。

「一応言っとくけど、別にあいつのことは嫌いじゃないわよ。特別好きになれないだけで、それ以上でも以下でもないの。そりゃまあ、どうでもいいとまでは言わないけど……」

軽い調子でそう言って、ルーティは部屋隅に置かれた時計に視線をやった。そろそろアトワイトを迎えに行かなきゃ駄目かしら。そんなことを呟いてから、ルーティは無造作に置かれたままのシャルティエを入り口に向けて置き添えてやる。

「……誰かが入ってくるたびに息潜めてるのって疲れるでしょ?アトワイトがいつも言ってるわ。手を離す時は出来るだけ部屋を広く見渡せる場所に置いてちょうだい、って」
「どうもすみません、助かります……」
「いいってことよ。……そんじゃ、あたしはちょっくらアトワイトを迎えに行って来るわね」
「ええ、行ってらっしゃいま……ああ、やっぱりちょっと待ってください、ルーティ」
「ん、何よ?」

早々に部屋を出て行こうとするルーティを呼び止めて、シャルティエは一瞬だけためらいを浮かべる。どこまでなら許されるだろう。そんな素朴な疑問すら、お節介かもしれないと思いはするのだけれど。

「あれで坊ちゃんはルーティのこと、坊ちゃんなりに信頼してるんですよ。だからどうか、……嫌いに、ならないであげてくださいね」
「……なによ、それ。いきなりそんなこと言われたって、……そんなの、簡単には保証出来ないわよ」
「ルーティ……」
「大体ね、それが本当かどうかなんて分からないじゃない。……普段あれだけ突っかかってくる奴よ?むしろ嫌われてると思ったほうが正しいと思うんだけど」
「それは、そうかもしれませんが……」
「……でも、そうね。それがもし本当なら、……それなりに、前向きに考えておいてあげなくもないわ」

答えてから、ルーティはひらひらと手を振って、足早に部屋を出て行った。――シャルティエの言葉は、信じない。言い聞かせるように、ルーティは小さく首を振る。口を開けば言い争いばかりの関係の、いったいどこに信頼など生まれると言うのだろうか。

「……ありえないわ、そんなの」

言いながら、ルーティは小走りに階下へ向かう。その表情にどこか満ち足りた笑みが浮かべられていたことは、この世界の誰も知らない。