送り火の行方

送り火、という習慣が現存するこの世界では、死者が出ると安らかな旅立ちを願って炎を灯す。今では一部の地域に限られてしまったそれではあるけれど、旅先でならば、今でも時折目にすることの出来る光景だ。故人の境遇によって規模は違うものの、概ねそれは近親者によって執り行われ――その火が潰えるその瞬間に、故人はようやくすべての儀式を終える。

「……死んでまで、帰り着きたい場所などあるものだろうか?」

立ち上る煙をいくらか目で追ってから、背を向けつつもリオンはごちた。涙を流して永久の別れに参列する者を目にしても、さして大それた感情が湧かないのは、所詮それが平和のうちに迎えられた終焉だからなのかもしれない。

――いや、それもまた違う、か。そう思い直して、リオンは僅かに首を振った。僕は戦いのうちに死んだ人間を哀れんだことは無いし、真っ当な罪で裁かれた人間を憎んだことも無い。そもそも哀惜することに興味が無い、とでも言ったほうが正しいのだろう。誰かの死を悼む暇が存在するくらいなら、それはすべて自分や、それから彼女のために当ててしまったほうが有意義なのだ。

「前から思ってましたけど……坊ちゃんは時々、面白いことを考えますよね」
「……シャル?」

淡々と月並みな思考に埋もれていると、唐突にシャルティエが声を上げた。

大げさに弔ってみたり、死者を戦いの理由にしてみたり。それらは各々自由だけれど、大概の場合、弔いというのは生きている人間のために存在するものだ。弔ったという実感が何より残された人間の心を救ってくれるから、そのために人々は、すでに消えてしまった人間へしばしの間執着する。

――だからこそ坊ちゃんのように、死者の側に立って物事を見ようとする者はあまり居ない。そう思ったらどうしても伝えずには居られなくなって、シャルティエは先ほど、長く続いていた沈黙を破ったのだった。

「生きている側の視点に立たずに物事を考えるあたりが、なんだか坊ちゃんらしいなと思ったんですよ。……ちなみにさっきの疑問についてなんですけど。それ、僕なりの見解で良ければお答えしましょうか?」

死んでまでなおも生にしがみついている存在として、これほど適任の回答者も無いだろう。そう思ってシャルティエが言えば、リオンは少し驚かされた様子で「ああ、そうだったな」と相槌を打った。

日頃から当たり前になりすぎている存在だから、時々シャルティエが擬似的な在り方をしているのだと忘れてしまいそうになる。言ってしまえば単純に媒体が剣だと言うだけで、シャルティエの思考はまるで人間のそれと変わりはしないし――言葉を交わすときに生まれる独特の雰囲気だって、人間と話す瞬間のそれとはほんの少しの差異も無いのだ。

「……やっぱり、死んでも帰りたいと思う場所、っていうのはあると思いますよ。まあ、当時の僕らの場合は死ぬわけにはいかない、って感じでしたから、ちょっと事情が違うと言えば違うんですが」
「しかし、それなら別にシャル自身がどこかに帰りたかった、というわけじゃないんじゃないのか?」
「いえ、そうでもありませんよ。……まあ、正直僕は世界を救いたいとか何だとか、そういう大仰な目標は持てませんでしたけど。それでもそれなりに信用している人は居ましたし、せっかくなら最後まで見届けたい、っていうのもありましたし」

いわゆる乗りかかった船、とでも言うのだろうか。世界全体の人々の幸せを願うというより、身近なものが壊れてしまうことより、自分自身の終わりをそう簡単に許容出来なかったから、それを打ち破ろうとする地上軍に賛同してみたようなもの。あの頃に比べて随分性格が変わったとアトワイトに言われはしたが、シャルティエとしては、根本的なところはあまり変わっていないように思えていた。

――そう、基本的に現実主義的なのだろうと思う。同じく冷徹と呼ばれる坊ちゃんなんて比較にならないほど、たぶん諦めが強くて、どうにもならないのが僕。坊ちゃんは冷徹というより、単純にぶっきらぼうなだけなのだ。感情を上手く表現することを知らないから、良いだけ誤解されてもそれを丸ごと受け入れようとする。

積極的に誰かを救おうとはしないから、確かにそういう意味では冷めているけれど、それを言うなら人間なんて皆そんなものなのだ。一握りの大切なもの以外は切り捨てていかないと、肝心なときに身動きが取れなくなってしまう。

「……でも、そうですね。今なら、もう少し違う答え方をするかもしれません」

独り言のようにそう呟いて、シャルティエは思案する。自分ひとりが命尽きてしまったらと思うとひとつだけ、どうしても気がかりなことがあった。ひとり残されたその後で、道を誤ることなく自分の足で前へ進んで、守りたいものをちゃんと守って、後悔しないようにただひたすら生きていく。そのための支えをいつか得られるだろうか、とか。それまで寂しい思いをしないだろうか、とか。――子供扱いすると怒られてしまうから、それを口に出したりはしないけれど。

結局坊ちゃんのためになら、僕は命だって投げ出してしまうのだろう、だなんて。行く先を生きて見届けたい心とは裏腹に、ひどく矛盾したことを思ったりもする。

――そう、これこそがたぶん、坊ちゃんが抱える疑問の答えに値するところなのだろう。

「僕はね、坊ちゃん。たとえ大切な人が倒れそうになったとしても、誰かの代わりに死ぬなんて真っ平だと思っていました」
「シャルは……そうだろうな。そんな気がする」
「そうでしょう?……だけどそんな僕の自己中心的な世界にひとりだけ、それを覆す人が現れてしまったんですよ。僕としても結構な驚きなんですけどね。……これだけはもう、自分の意志だけではどうしようもない感覚ですから」

シャルティエが伝えれば、意図を察したのかリオンは戸惑ったように黙り込んだ。暗に続きを促されて、彼は続ける。

「ただ、それをするにはひとつだけ困ったことがありまして。……僕が死んじゃったら、その人の行く末を見られなくなるじゃないですか?それだと何だか不公平だなあって。僕が死んだことでその人を救えたんだったら、僕のおかげでその人がその後どういう人生を歩んでいくのか知りたいじゃないですか」
「気持ちは分かるが……言っていることがめちゃくちゃだぞ、シャル」
「そうかもしれませんね。でも、この感覚がいちばん坊ちゃんの疑問に近い答えなんだと思います。守りたいと思うのが勝手なら、見届けたいと思うのも勝手なんですよ。ワガママ、とも言うのかもしれませんが」

実際は両立させることが困難な二つだからこそ、なおのこと二つを望みたくなってしまう。自らの命を賭すことすらたぶん自己満足に過ぎなくて、それだからいっそのこと、その先を見たいと欲張りになる。

そんなところは少し、独占欲にも似ているのかもしれない。結論を語りつつ、シャルティエは思う。人は誰しも自分を最優先に行動するものだ。だからこそ、自分の功績で永らえさせた命の行く先を見てみたいと願うのだろう。

「……僕自身がそんな感じなので、個人的に言わせてもらうなら送り火はあまり好きではありませんね。生き残った人の都合で無理やりあの世に送っちゃおうだなんて、随分ひどいと思いませんか?」
「シャルは軍属だったのに、軍人らしくないことを言うんだな。死んだ人間は忘れることが第一なんじゃなかったのか?」
「……確かに、軍人としてはそれも大切なことですけど。でも、僕らが忘れることを自由だとするなら、死んだ人間が寄り添うことだって許されると思いますよ。……所詮、軍人といっても僕は一般人上がりですから。そういう考え方、どうも捨てきれないんですよね」

けど、それって悪いことだと思いますか?シャルティエがそう問いかけてみれば、リオンは少しだけ笑って、「いや」とだけ短い否定を返した。その言葉ひとつですべてが肯定される気がしてしまう――それがとんだ錯覚だと分かっていても、たった一言の返答さえ、今更手放せはしない。

「ところで……このまま逃げちゃおうかとも思ったんですが、一応伝えておきますね」
「ん?」
「……僕が今何らかの形で死んでしまったら、帰りたいと願うのは間違いなく坊ちゃんのところです。その時は、出来れば送り火なんてしないでくれると嬉しいな。まあ、坊ちゃんがどうしても寂しくて、寂しさのあまり僕のことを忘れたいって泣くんだったら……それも仕方ありませんけど」
「誰が泣いたりするんだ。……それに、僕もあの習慣はあまり好きじゃない」
「本当ですか?それは嬉しいな。……ただちょっと心配なのは、死んだ後も剣の姿のままだったらどうしようってことですけどね」
「お前な……」

だって、それって結構重要なことですよ。呆れるリオンにシャルティエは言って、死後も剣に縛られる自分の未来を想像する。元来がこの剣にしか宿ったことが無いとは言え、マスターであった自分自身の感覚も認識してはいるから、死んでまで永久にこのままというのはぞっとしない。

いや、そもそも今の状態は一度死んでいることになるのではなかっただろうか。思い直して、シャルティエは己の感覚の複雑さに吐息した。ソーディアンである自分自身に死した瞬間の感覚は無いけれど、この身は紛れもなくオリジナルであるシャルティエの分身だ。とあればやはり一度死んだものと見なすのが正しいのだろうし、何より、先からそれを前提として話していたような気もする。

「二度死んでも帰りたい場所があるなんて、やっぱり物凄くワガママなのかもしれませんね、僕は」

それも、寄り添いたいと願う気持ちは二度目の方が遥かに強い。自嘲気味に小さく笑って、シャルティエはつかの間真剣な表情をかたどった。一度目は曖昧なまま取り残されたくなくて、続いて行く世界にどことなく縋っていたいだけだったのだけれど。

――もしも二度目が許されるのなら、今度はただひとりのために在りたいと思う。ひとりのために消えることを厭わずに、ただ、出来るのならその行く末すら見届けてしまいたい。

「……そう思うこと、許してくれますか、坊ちゃん?」
「もしそうなったら、それは生きている僕が口を出すことじゃない。……そうだろう?」
「……ええ、そうですね。……確かに、その通りなのかもしれません」