庇護の雛鳥

 あの悲劇があってから、もう二ヶ月の時が経つ。ルーク自身はあの日を最後に逃げ惑うことを止め、制裁を法に委ねようとしたのだが、結論から言えばその件については不問となった。たしかに加害者であることに違いは無いが、彼らはエルレインの計略に掛けられた最大の被害者でもあるのだと。かつてエターナルソードを守護していたカイルとリアラの証言があり、ルークは一応の罰を免れたのだ。
 もちろん罪を咎められないからと言って、全ての人間の赦しを得られたわけではない。行く先々の街で罵声を浴びせられ、幾度と無く殺されかけたことだってある。おそらくこれほどの罪を犯してしまえば、国家が死罪を否定したところで、納得など出来ない人間は多いのだろう。
 あの日から暫くは、騒ぎを大きくしないように人目を縫って、世界のためになりそうな物事を探し続けて旅をしている。ルーク曰く「罪滅ぼし」というやつで、生態系に害を与えている魔物を討伐したり、彼の罪を気にしないと言ってくれる人間から受ける依頼を、出来うる限り引き受けて生きる毎日だ。
「なあ、ガイ?」
「んー?」
 そうして春の陽射しに身を委ねていたガイに、少し離れた位置からルークの言葉が降りかかる。どこか不安げな様子のルークの声音に、内心張り詰めた心地でガイは「どうした?」と聞き返した。
「ひとつさ、聞いてもいいかな?」
 鳥籠に収まっている鳥をちょんとつついて、ルークは鳥籠の中で羽ばたく小鳥を痛ましげに見つめる。依頼主は今も心細い思いでこの鳥の帰りを待ちわびているのだろうに、この鳥はおそらく、この牢獄に収まることを厭っているのだろう。自分が相手を庇護していると勘違いして、自分が守ってみせると独りよがりな決意に舞い上がって、挙げ句失敗してしまったからこそ、錯覚することの盲目さはよく分かる。
 ――そして今。今度は庇護されている側の自分が、善意に頼りきっていることを知っていながら、いつか離れてしまうことを恐れる傲慢さを赦せずに、いる。親鳥がやがて未熟なうちに小鳥を放り出してしまうのと同じように、ある日突然独りで飛び立ってみせるようにと、そう強いられることを恐れている。
「ガイは、何で俺と一緒に居ようとしてくれるんだ?」
 こうして今も多くの人間に追われ、死を望まれ続ける自分の傍になおも寄り添ってくれるその理由が、もしも単なる保護欲から来るそれならば、時が来れば彼もまた自分を放り出すのだろうかと。思えば思うほど、独りよがりな自分に嫌気が差す。
 怨嗟が消えることなど無いのだろうから、自立することが叶ったその段階で、独りで歩き出した方が良いのだろうことは分かっている。自分の余計な寂寞でいつまでもその身を危険に晒し続けることが、一体どれほど愚かで、一体どれほど危ういことなのかも、いい加減理解は出来ているつもりなのだ。――それでも。それでもただ、張り裂けそうな心を否定出来やしないから。
「そんなこと悩んでたのか。いきなりどうした?」
「いや……この鳥、飼い主のところに帰りたくないんだろうなって思ってさ。俺はわざわざ自由になりたいとは思わないから、なんか変な感じだ」
「何だ、ルークは自由になるのが嫌なのか?」
「うーん……何て言うんだろうな。自由になることってさ、要するに一人で生きていけるってことだろ」
 そうして突き放されるのなら、体の良い自由など欲しくはないのだと。誰かに傍に居てほしいと、出来るなら誰より君に、隣に居てほしいのだと。この切ないほどの感傷を伝えてしまうことは、たぶん間違っているのだろうと思うけれど。一度願ってしまった以上、それを消し去ることがどうしても出来ないのだ。
「いや、そうとも限らないぞ」
「え?」
「自由になったからこそ、対等な状態で誰かの隣を歩くことも出来るんじゃないか? そういう意味でなら、お前はもう十分自由なんだと思うけどな」
「……ガイ?」
「少なくとも俺がお前の傍に居るのはな、ルーク。俺が紛れもなく自由で、お前の傍に居たいと思っているからだ。別に変な義務感とか、償いの気持ちで無理矢理そうしているわけじゃない」
 大方俺が今ここでこうしていることを、ルークは自分が強制しているかのように思ってしまっているのだろう。ガイは思ってから、相棒の変わりように切なさを覚える。
 他人の気持ちを思いやるようになってくれたのは良いが、自分のことまで無意識に卑下しようとするそれは、この先時間をかけて正してやらねばならないだろう。自己犠牲など不要のものなのだと。それを教えてやれるのもまた、きっと自分しか居ないのだろうから。
「いいか、俺の言葉を信じるんだ。……大丈夫。そんなことで嘘を吐かなければならないようなら、今頃とっくにお前の傍には居ないだろうし、それでも今俺がここにいるってことは、俺はこの先もずっとお前の傍に居るってことだ」
「ガイ……でも、俺は……」
「……なあ、ルーク。俺はお前の面倒を見てきたつもりだが、だからって何も保護者というわけじゃないんだ。簡単に見捨てたり、手放したりなんかしないから、そこは安心してくれていい」
「……本当なのか? けど、俺と一緒に居たらこの先も……」
「それを変えるために、お前はここに居るんだろう? 憎しみの心や恨みの感情ってのは、なかなか簡単に解決出来るものじゃない。だけどな、俺がお前の存在に救われたように、お前が誰かの救いになって、少しずつでも連鎖を食い止めることは出来るんだ。……だから、そうやって疎まれることに慣れるんじゃない」
 辛いだろうけど、それもお前がやらなければいけないことの一つなんじゃないか。そう言ってガイが笑えば、「……そうかな」とルークはほんの僅かに笑みを浮かべる。かつてあれほど撥ねつけて、聞き入れずにいたその言葉たちが、今は何より真っ直ぐ胸の奥へと落ちて行く。
「……ごめん。俺、少し弱気になってたかもしれない」
「誰にでもそういう時はあるさ。別に気にすることじゃない。」
 今日辛ければ、また明日から頑張ればいい。今日頑張れなくたって、別に明日が無くなるわけじゃないんだ。生きていれば、必ずやり直すための一日は来る。頑張れる時に、また頑張り始めればそれでいいから。力強くガイが言えば、「……ありがとう」とだけ言って、泣き笑いのようにルークは小さく目を細める。
 ――つがいの鳥が二羽、雲ひとつ無い大空を過ぎて行く。穏やかに寄り添うその様子は何者にも囚われず、広く澄み渡った青の中、ただひたすらに自由であった。